千葉東金に向ったので、九十九里浜の高村光太郎の智恵子抄の詩碑によってみたくなった。国民宿舎サンライズ九十九里の海側にその詩碑はある。「人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜にすわって智恵子は遊ぶ。無数の友だちが智恵子の名をよぶ。ちい、ちい、ちい、ちいーー砂に小さな趾あとをつけて千鳥が智恵子に寄って来る。口の中でいつでも何か言っている智恵子が両手をあげてよびかへす。ちい、ちい、ちいーー・・・・・・・」

智恵子の生家に寄った事がある。豪商の家に生まれた智恵子は、絵や詩などの創作活動にも熱心だったが、家の没落とともに精神異常をきたし、光太郎が死ぬまで介護を続けた。智恵子は死の間際にほんの一瞬正気に戻るが、光太郎はレモン哀歌で、そんなにもあなたはレモンをまっていたか、と詠んでいる。
九十九里の砂浜は荒涼としていた。