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倉敷、とくに倉敷川を中心とした「美観地区」は、町おこしのその先・・・
町家(まちや)や蔵などの歴史的建築群や独自の文化を核に据えた地域振興の
成功例として知られる。文化庁選定の伝統的建造物群保存地区でもあり、
地域振興や観光客の誘致を目指す国の市町村にとっては、お手本のような
存在だ。

なだらかな低山を背景に、柳並木が影を落とす倉敷川沿いに白壁・なまこ壁の
町家(実際に人が住む)をはじめとした歴史的建築や大原美術館・アイビー
スクエア・倉敷民藝館、倉敷考古館が美しい町並みをつくる。
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江戸幕府の直轄地「天領」として栄えた倉敷だけに、財・知の粋を集めた「美観
地区」の醸す雰囲気は、他の追従を許さない観も。

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記入者: koba

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 2008年10月 22日

 これより陸奥 白河の関


かつて坂東(関東)と大和朝廷の勢力の及ばない
蝦夷の国、陸奥とを分ける関であった白河の関は
当然、奥州街道である国道4号線沿いにあるだろうと思っていたが、
行ってみると市街地からかなり離れた田園地帯にあった。
 
江戸時代後期の寛政年間に白河藩主の松平定信によって、
この地が白河の関跡であると断定され「古関蹟」の石碑が建てられたとのこと。
この関を1200年程前に征夷大将軍の坂ノ上田村麻呂が
アテルイと戦うため、950年程前には八幡太郎源義家が
蝦夷討伐のため越えて行って、安倍貞任と戦ったのだ。

さらにその100年後には平家から逃れた源義経が
奥州藤原氏を頼って越えて行ったのだろう。
 
歴史上、何度も登場するこの白河の関が、
今は樹齢1000年にも及ぼうかという巨木の杜に囲まれて、
ひっそりと白河神社や石碑が佇んでいるだけで、
特に観光地化されていないことが不思議に思えた。
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記入者: tanaka

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長野市から、戸隠へ。飯綱高原を経由して行く高原道路「バードライン」は、
白樺や落葉松の森の中に蕎麦どころやカフェが点在する人気のドライブコースだ。
とくに夏は、東京に匹敵する猛暑の市街地からわずか20分で高原の涼を
味わえるとあって、多くの人が訪れる。

「バードライン」の途上にある飯綱高原の入り口・大座法師池を過ぎ、
登山口方面に差しかかると、落葉松や白樺の森に洋館が見え隠れし、
いい雰囲気。

洋館は3館ある。
まず、「長野カントリークラブ」の向かい、「飯綱登山口」バス停付近には
明治37年(1904年)、長野の市街地に建てられたカナダ・メソジスト派の
宣教師ダニエル・ノルマンの旧宅が。

ノルマンは野尻湖に「外国人村」を開いた人でもあり、軽井沢・カナダ・長野を
行き来して布教につとめた。
誠実な人柄から、軽井沢では“村長さん”と親しまれたという。

ノルマン邸に隣接して、旧・長野師範学校教師館がある。
明治8年(1875年)に建てられ、現存する師範学校としては
わが国唯一という。


ひとつ戸隠寄りのバス停「一の鳥居」付近にある大きな洋館は
大正2年(1913年)竣工の旧・長野県庁。
戸隠・飯綱山を望むひろびろとして手入れのよい公園「一の鳥居苑地」を
背景に、クラシックホテルの趣すらある。

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現在は「自治研修所」として県庁職員の研修に使われているそうだが、
いつ通りかかっても人の気配を感じない。

これらの館は、1970年代にこの場所に移築された。
うち、上記の2館は長野県指定の重要文化財に指定され、現在、県最大手の
建設会社・北野建設が保有。
外から見た限りでは維持・管理もきちんとなされているようだ。
内部はどのようになっているのだろう?予約すれば見学も可能らしいが、
貴重な歴史的建築物が、このまま人の目に触れることがないのは
何か惜しい気もする。

建物の存在を広く知らしめて、今に生かす方法はないものだろうか?
運転しながら思いはあちこちに・・・。
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記入者: koba

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 2008年07月 13日

 房総の小江戸・大多喜


大多喜城は、徳川家康の四天王といわれた本多忠勝が築城した城で、
あちこちの城下町の名残がある。
街並みも古く格式を重んじるつくりの家を見かける。

四つ門は、武士がここからお城に参上したところらしい。
当時は馬に乗るとちょうど通れるほどの高さの門があったようだ。
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 2008年07月 11日

 君津・秋元城と青鬼大明神


マザー牧場の鹿野山からの帰りに、お城の跡があったので寄ってみることにした。
戦国時代後期のお城みたいで、登ってみたらただの草地があるだけだった。

草地は更に奥へ続くのだが、青鬼大明神の粗末な看板があるので、
草を掻き分け看板が見えるところまで行ってみた。

するとこの村の娘おげんさんがみんなのために生贄になったと書いてある。

それにしては、粗末な看板と慰霊碑だ。
ホームページにも秋元城は載っていても、青鬼大明神は書いてない。
貧しくて、もしかしたら、生きていくのもやっとの娘さんだったのかも知れない。
もっと皆で大切に祭って欲しいものだ。
両手を合わせて、おげんさんの冥福を祈って帰った。
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 2008年07月 09日

 明治と幕末の記念館・大洗


水戸藩は幕末の尊王攘夷の中心的存在としてのプライドが在る。
徳川幕府を支えながら尊王を唱え、結果的には裏切られていく。
天狗党に象徴される過激派と一ツ橋慶喜に象徴される尊王派と
分裂していたのも悲劇だった。
しかし、水戸が幕末を犠牲になって作り上げたという自負が
この記念館を訪れてみてあるような気がした。

訪れたのは、閉門時間の午後4時を少しまわっていた。
受付の人がすまなそうに、少しの時間であればという条件で入館を認めてくれた。


田中光顕という宮内庁にいた人が寄付した資材をそのまま記念館にしたものらしい。
広大な敷地はキャンプ場にもなっている。
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 2008年07月 06日

 希望のかなう海門橋・大洗


茨城県のひたちなか市と大洗を結ぶ海門橋は昔から小説の舞台になった有名な橋だ。
昔は、木で出来ていて美しい橋だったらしい。
ここを訪れた小説家は沢山いてみんなこの橋と景色を讃えている。
いつもお会いする与謝野晶子はもちろん、小山いとこ、井上靖、松本清張、と川をわたる独特の雰囲気を小説に書いている。たびたび流され鉄骨になってしまい、少し雰囲気は落ちたが小説家がここを訪れるのは分かる気がする。
 

この橋の真ん中に、鐘があって、願い事を祈りながら三回鳴らすとかなうらしい。
橋の真ん中まで行くことにした。
橋から見ると太平洋となかみなと、大洗の景色が一望できる。
個々で、3回鐘をならして祈りをささげた。
お願いは三つあった。
 
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 2008年06月 20日

 佐野市葛生原人


栃木県佐野の葛生町(くずうまち)は、いわきセメントの本社があるセメントの街。
いたるところで山が削られ、埃まみれになりそうなところだ。
ここに旧石器時代の遺跡が発見され葛生原人と命名されたことがあった。
帰り道に寄ってみたが、よく見たら葛生原人は古い遺跡ではなく、
中世ごろの遺跡だったらしい。
幻の原人というわけだ。
 
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日本で始めてのヨーロッパ古城で、津川雅彦ともう一人の建築家が、
はるばるイギリスから、ゴルバチョフの許可をもらって、高山村に移築したのだ。
群馬県天文台が閉まっていたので、ここに立ち寄ることにしたのだが、
観光客は誰もいない。
受付美人がいらっしゃいませと応対してくれたが、一人だと入りにくい感じだ。

広大な敷地に維持費だけでも大変そうだが、どうやって運営しているのか、
心配になってしまった。
入場料がかかるので、外から見て帰ってしまった。
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昨秋、この地のリゾートの祖・青木周蔵邸と偶然出会った。(2007年11月の日記はこちら


那須インターから茶臼岳へ登る那須街道に沿ってさまざまな別荘地が広がり、御用邸がある。数多くのレストランやみやげ物店もある。九尾のキツネや那須与一の伝説と温泉…。

でも、那須高原ってそれだけ?

と思っていたから、自分の無知はさておき、歴史の一面に触れたことは新鮮な驚きだった。

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