霧島は国分と言う地名に現されるように、昔はこの鹿児島の中心地だったようだ。
宮崎から、鹿児島にかけて、大和朝廷の頃は、隼人族がこのあたりにいたが、
大和朝廷にそむいたので、紀元720年ごろ、鎮圧されてしまった。
沢山の人が殺されたようで、その後この地を支配した鹿児島神宮が、
そのあと400年後ぐらいにこの塚を作ったらしい。
資料館があり、そこの学芸員みたいなおじさんが、熱心に説明してくれた。


ところで、ここで久しぶりに、与謝野晶子にあった。
短歌が碑になっていた。学芸員に聞くと、
霧島温泉などにも沢山短歌が残っているとのこと。
どうやって、ここまで来て、温泉まで行ったのですか?
と聞いたら、よくわからないとのこと。