今日は現地調査のついでに
金太郎を祭った静岡県駿東郡小山町の金時神社に行きました。
山が丸ごと金時公園になっていて、プールもあり、
その一画に金時神社があります。
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入口には大鉞が置いてあって子供もびっくりした顔で見ていました。
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さすがに、こんな大きな鉞を金太郎が振り回していたとは思えませんが、
金時神社のシンボルとなっています。
金太郎が丈夫な子供だったため、安産・子育ての神様として祭られています。
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ところで・・・皆さん金太郎のお話はご存知ですか?
その個性的なコスチュームからどんな風貌かというのは知られていますが、その一生は意外と知られていません。

金太郎は足柄山の麓で(一説には山姥の子して一説には八重桐姫の子として)生まれました。
その金太郎はとても力持ちで、熊と互角に相撲をとるほどでした。
その力量を京の武将「源頼光」に見込まれ、「坂田公時(さかたきんとき「金時」ではない)」と名を改め、京都の武将になり、活躍をしました。
そして、源頼光四天王の一人になるまで出世しました。
ある日、丹波の国、大江山に酒呑童子(しゅてんどうじ)という妖怪(鬼?)が現れ、京都の町で悪さをはじめました。
そこで金太郎こと坂田公時が眠り薬入りの酒を飲ませ、酒呑童子が高いびきをかいている隙に見事退治をしました。めでたし。めでたし。


…と、こういう話なんですが、ご存知でしたでしょうか?

おそらく、後半部分を知らない方がほとんどだと思います。
当時の首都である京都の町を救った英雄の話なのですが何故あまり知られていないのでしょうか?
ちょっと検証してみたいと思います。

幼年時代、「熊と稽古する」ってすごいですね。熊と互角の実力じゃ、並みの子供は太刀打ちできませんね。いや、それどころか、命にかかわるのではないでしょうか?
きっと、子供のお母さんが
「金太郎ちゃんとは遊んじゃいけませんっ!」
なんて言われたりして。
山の獣だけが友達だったのは、そういう裏があったかもしれません。


子供時代、熊と互角の腕力を持っていた金太郎ですが、妖怪には怖気づいたらしく、姑息な手段にでます。


寝込みを襲う……


なんという卑怯千万な戦法でしょう(笑)。
犬・猿・キジを連れ、鬼の大群に正々堂々立ち向かった岡山の英雄、桃太郎とはずいぶん違います。
金太郎の話がいまいち浸透しなかったのもこんなところに理由があるのかもしれません。


そういえば……
ヤマタノオロチも同じ戦法で退治されましたね。
もしかして日本の妖怪は力は強くてもオツムは弱かったのかもしれません。