智恵子抄で有名な高村光太郎の妻長沼智恵子の生家は造り酒屋だ。
裕福な家庭でなに不自由ない生活をしていたようだ。
日本女子大を卒業し、光太郎と結婚したが、智恵子が30代のとき、
造り酒屋は倒産し、一家は離散した。
その頃から、智恵子の精神障害は激しくなる。
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智恵子は、この生家に愛着を持ち、光太郎と結婚してからも
時々帰っていたようだ。

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2階の庭側の四畳半が智恵子の部屋、
光太郎は向かいの九畳の部屋に滞在した。

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敷地内に智恵子記念館も併設されていて、十和田湖の乙女の像は、
もう一つ小さいのがあり、ここに展示されている。
順路に従うと、智恵子の絵や紙細工などと並列して、光太郎の
’東京の空’などの詩が寄り添うように展示されている。
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レモンには、死の直前、智恵子に正気が戻る一瞬が書かれている。
光太郎の詩は何の技巧にも頼らない素直な詩だが、
読み終わってもその場を離れられないような感情を呼び起こす。
館内は撮影禁止だが、係りの人が一部だけ許可してくれた。
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智恵子の生家に少し長くいたので、次の待ち合わせ場所へは急がなくては。