50年以上前の学生時代、1970年ごろの高度成長の時代に疎外感を感じる若者が多かった。奇抜な行動や社会への反発が若者のスタイルとして定着していたとき、ヤマギシズムもひそかなブームとして語られていた。
そんな生活の場が、東吾妻町大戸宿場の近くにあったので立ち寄って見た。広大な敷地の奥に入っていくと、事務所のような建物があり、学校から帰ってきた中学生ぐらいの女の子が建物に入るところだった。事務所には誰もいないので、車で送ってきた女の子のお母さんに話を聞いた。

ここは、養鶏と養豚で生活しているようで、全体で20名ぐらい、年配者は70過ぎで20台の若い人もいると言う。これだけの施設を20名で運営していると、かなり収入は多いのではないのだろうか。私有財産を放棄して、共同生活する社会は豊かな資産を持っていると思った。秩父にも武者小路実篤の新しき村があったが、似ている感じがした。

近くには大戸関所と国定忠治の処刑された川原があり忠治の慰霊碑が建立されている。