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閑谷学校(しずたにがっこう)は岡山藩主池田光政が
「この地は読書・学問をするによし」として、藩の重臣津田永忠に命じて
建設を始めたが、講堂をはじめとした壮麗な建物が完成したのは
光政の死後、元禄14年(1701年)のことだった。

閑谷学校遠景閑谷学校遠景 

武士の子弟が学ぶ藩校は岡山市内にあったが、この閑谷学校は、
初めから庶民のための学校、地方のリーダーを育てる学校として創建されており、
現存する、庶民を対象とした学校建築物としては世界で最も古い建物といわれている。

正門閑谷学校正門

神社 石塀
左:池田光政を祭った閑谷神社   右:石塀

赤い備前焼瓦で覆われた建築物やそれらを取り囲んで長く続く石塀も、
閑谷学校の構造物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されている。

講堂閑谷学校講堂

講堂内部 講堂廊下 
左:閑谷学校講堂内部  右:閑谷学校講堂廊下

申込みをすれば、今でも講堂の床に正座して
論語の講釈を受けることもできるそうだ。

看板


閑谷学校公式サイト → http://shizutani.jp/



カテゴリー: 名所・旧跡
記入者: tanaka

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 2010年06月 05日

 生島新五郎の墓


三宅島の現地調査が早く終わり、時間が余ったので島内を一回りしてみた。

途中、伊ヶ谷の漁港へ寄ってみたら生島新五郎のお墓が目に付いた。

三宅島の生島新五郎の墓

生島新五郎は江戸時代の歌舞伎役者で山村座の看板役者でもあった。
この生島新五郎と当時、徳川七代将軍家継の生母である
月光院(大奥の最高権力者)に仕える大年寄の江島が激しい恋に落ちた。
江島は月光院の代りにお寺参りをした帰りに新五郎と密会していたために
大奥の門限に遅刻してしまった。

大奥の大年寄は表高600石だが
格式では10万石の大名に匹敵する権力者であったために大事件として扱われ、1500人が粛清され、90人が流罪にされたといわれている。
江島は信州高遠へ流され、生島新五郎は三宅島へ島送りされ、
二十数年この島で暮らし亡くなった。

実際には家継の御側用人で幕府最大の権力者であった
間部詮房と家継の母、月光院とのスキャンダルがらみの政治事件で、
江島を罪人にすることにより間辺部詮房と月光院を権力の座から
追い落とそうとした幕閣達の陰謀であったのだが、
その巻き添えを食ってしまったようだ。

この事件は「江島事件」として歴史に残されている。

生島新五郎の墓石 墓石の周りは寂しい

生島新五郎の墓石はまだ新しいように見えるが、
台座は黒ずんでいて、かなり古いもののようだ。
恐らく、度重なる火山活動や地震の影響で壊れてしまい、
墓石だけ新しくしたものだろうと思える。
墓前には枯れてしまった榊か樒が供えられているだけで、
花の一輪すら見当たらず、物悲しい感じで哀れな風情だった。

遥か海の彼方を見ている墓石

ただ新五郎の気持ちを思いやってか、墓石の正面は
北向きのはるか海の彼方の江戸(あるいは江島の居る高遠か?)に
向けられていたことが、せめてもの救いだと感じた。
カテゴリー: 名所・旧跡
記入者: tanaka

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