2010年05月 22日
日本最古の天守閣 越前丸岡城
丸岡城は今から約430年前、
越前の守護職として北ノ庄(現在の福井市)にいた柴田勝家が
甥の柴田勝豊に命じて築城させた、城郭建築の初期の時代の建物である。
以後、安井家、青山家二代、今村家、本多家四代、
有馬家八代の居城として使われ、明治維新をむかえた。
城の中に入るのに300円の入場料が掛かるが入ってみることにしたら、
外から見ると屋根は二重だが、内部は三階建てになっていた。
予想よりも小さな建物だったが、極太のケヤキの梁や柱が
随所に使われていて、それなりの歴史を感じさせる建物だ。
二階や三階に上がる階段が非常に急に造られていて、
補助のロープに掴まらなければ転落してしまいそうだ。
「霞ヶ城」の別名があるが、城の周囲には400本以上の吉野桜が
植えられており、開花時期の花霞に浮かぶ天守閣の姿は、
日本の美しさの典型と言える大変に素晴らしい眺めだそうだ。
また、天守閣石垣の横には、徳川家康の功臣、本多作佐衛門重次が
陣中から妻に書き送った、日本一短い手紙として有名な
『一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ』
の書簡碑が建てられている。
越前の守護職として北ノ庄(現在の福井市)にいた柴田勝家が
甥の柴田勝豊に命じて築城させた、城郭建築の初期の時代の建物である。
以後、安井家、青山家二代、今村家、本多家四代、
有馬家八代の居城として使われ、明治維新をむかえた。
城の中に入るのに300円の入場料が掛かるが入ってみることにしたら、
外から見ると屋根は二重だが、内部は三階建てになっていた。
予想よりも小さな建物だったが、極太のケヤキの梁や柱が
随所に使われていて、それなりの歴史を感じさせる建物だ。
二階や三階に上がる階段が非常に急に造られていて、
補助のロープに掴まらなければ転落してしまいそうだ。
「霞ヶ城」の別名があるが、城の周囲には400本以上の吉野桜が
植えられており、開花時期の花霞に浮かぶ天守閣の姿は、
日本の美しさの典型と言える大変に素晴らしい眺めだそうだ。
また、天守閣石垣の横には、徳川家康の功臣、本多作佐衛門重次が
陣中から妻に書き送った、日本一短い手紙として有名な
『一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ』
の書簡碑が建てられている。
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