赤城はヤクザの本場、「赤城の月も今宵かぎり」の国定忠治も有名だ。
昔のヤクザは、地域の名主などをやっていて人から信頼を受けてる立派な人が多かった。
大前田英五朗(おおまえだ えいごろう)の墓は、立派なものだが、
場所は旧大胡村の市街地の一角にひっそりと葬られている。
写真を撮って帰ろうと、狭い道を歩きはじめたとき、
ちょうど英五朗の墓と向き合うように新しい墓が建っている。
名前を見ると、野村秋介と書いてある。

野村秋介とは遠い昔見覚えのある名前だ。
もう30年以上前に、聞いた記憶がある。
墓に刻んである墓碑を見ると国士と書いてある。
平成5年58歳でなくなっているから、私とそう離れていない年の人だ。
野村秋介がなぜ大前田英五朗の墓に眠っているのだろうか?
野村秋介とは、一体誰だったのだろうか?
そんな疑問を抱きながら、赤城神社方面に向かった。



※大前田 英五郎
* 1793年、上野国(現在の群馬県)のバクチを好む名主の子として誕生
* 殺人を犯し、佐渡送りになるが、島破りをして郷里に戻った
* キップのよさと腕っ節の強さから関東一の大親分として名を馳せた
* 1874年、82歳の高齢で死去

※※野村 秋介
* 東京出身の右翼活動家・運動家 →野村秋介資料館