2008年07月 13日
房総の小江戸・大多喜
大多喜城は、徳川家康の四天王といわれた本多忠勝が築城した城で、
あちこちの城下町の名残がある。
街並みも古く格式を重んじるつくりの家を見かける。
四つ門は、武士がここからお城に参上したところらしい。
当時は馬に乗るとちょうど通れるほどの高さの門があったようだ。
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2008年07月 11日
君津・秋元城と青鬼大明神
マザー牧場の鹿野山からの帰りに、お城の跡があったので寄ってみることにした。
戦国時代後期のお城みたいで、登ってみたらただの草地があるだけだった。
草地は更に奥へ続くのだが、青鬼大明神の粗末な看板があるので、
草を掻き分け看板が見えるところまで行ってみた。
するとこの村の娘おげんさんがみんなのために生贄になったと書いてある。
それにしては、粗末な看板と慰霊碑だ。
ホームページにも秋元城は載っていても、青鬼大明神は書いてない。
貧しくて、もしかしたら、生きていくのもやっとの娘さんだったのかも知れない。
もっと皆で大切に祭って欲しいものだ。
両手を合わせて、おげんさんの冥福を祈って帰った。
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2008年07月 09日
明治と幕末の記念館・大洗
水戸藩は幕末の尊王攘夷の中心的存在としてのプライドが在る。
徳川幕府を支えながら尊王を唱え、結果的には裏切られていく。
天狗党に象徴される過激派と一ツ橋慶喜に象徴される尊王派と
分裂していたのも悲劇だった。
しかし、水戸が幕末を犠牲になって作り上げたという自負が
この記念館を訪れてみてあるような気がした。
訪れたのは、閉門時間の午後4時を少しまわっていた。
受付の人がすまなそうに、少しの時間であればという条件で入館を認めてくれた。
田中光顕という宮内庁にいた人が寄付した資材をそのまま記念館にしたものらしい。
広大な敷地はキャンプ場にもなっている。
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2008年07月 06日
希望のかなう海門橋・大洗
茨城県のひたちなか市と大洗を結ぶ海門橋は昔から小説の舞台になった有名な橋だ。
昔は、木で出来ていて美しい橋だったらしい。
ここを訪れた小説家は沢山いてみんなこの橋と景色を讃えている。
いつもお会いする与謝野晶子はもちろん、小山いとこ、井上靖、松本清張、と川をわたる独特の雰囲気を小説に書いている。たびたび流され鉄骨になってしまい、少し雰囲気は落ちたが小説家がここを訪れるのは分かる気がする。
この橋の真ん中に、鐘があって、願い事を祈りながら三回鳴らすとかなうらしい。
橋の真ん中まで行くことにした。
橋から見ると太平洋となかみなと、大洗の景色が一望できる。
個々で、3回鐘をならして祈りをささげた。
お願いは三つあった。
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