2009年04月 22日
奥州平泉 中尊寺
中尊寺へは三十数年前、まだ学生だった頃に
東北観光の途中で寄った覚えがあるが、殆ど印象に残ってはいない。
何年か前に直木賞作家である高橋克彦氏が
奥州藤原氏初代の清衡とその父、藤原経清の生き様(前九年の役・後三年の役)
を描いた歴史小説「炎(ほむら)立つ」を読んで感銘を受け、
機会があれば是非、もう一度行きたいと思っていたので
現地調査のついでに寄ることにした。
中尊寺の中でも清衡、基衡、秀衡、泰衡の藤原氏四代の遺体が
安置されている(四代泰衡は首級)金色堂はどうしても見たいと思っていた。
金色堂は長い参道を登った奥に覆堂に守られて建っており、
ガラス越しに眺めるだけだが、屋根の庇から天井、壁、床にいたるまで
金箔で飾られ、藤原氏百年の栄華を目の当たりにできる建物で
900年前の創建当時の姿で残っている。
たぶん松尾芭蕉が奥の細道紀行の途中で詠んだ
「五月雨の降り残してや光堂」の当時と変わらぬ姿なのだろう。
考えてみると芭蕉だけなく、少年期を平泉で過ごした源義経や弁慶も
杉の巨木に囲まれたこの参道や境内を歩いていたのかと思うと
感慨深い思いがする。
ちなみに武蔵坊弁慶の墓も参道入口の脇に満開の桜の木に守られるように、
ひっそりと佇んでいた。
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