2011年05月 20日
勝沼宿・3階建ての土蔵
勝沼インターから山梨市に向かう途中、
旧甲州街道沿いに、三階建てという珍しい土蔵が目に入ってきた。
福嶋屋という薬局の土蔵。
土蔵の横に何やら看板が立っている。
明治20年頃に建てられたものらしいが、地下1階地上3階とはびっくり!
この辺りは、勝沼宿、当時はかなり繁栄していたようだ。
早く、ちゃんと保存して欲しいー。
お隣の土蔵も立派なもの。
この3階建ての土蔵は15年程前に火災にあったため、
外壁がこのような状態になっているとのこと。
向かって左隣に主屋(薬局)があったようだが、
この土蔵が隣への延焼を食い止めたのだ。
もちろん蔵の中の物も無事だったそうだ。
見渡すと、通り沿いには古い立派な建物や蔵がたくさん建ち並んでいる。
東京に戻って調べてみたら、
江戸時代甲州街道の中で最も繁栄していた宿場がこの勝沼宿で、
甲州ぶどうや養蚕、木綿、柿などの商品作物を江戸へ輸送・販売して
町は経済・文化において大いに繁栄していたようだ。
それにしても、この大きな蔵いっぱいに入れる物があったなんて
さぞかし裕福だったのだろう。
旧甲州街道沿いに、三階建てという珍しい土蔵が目に入ってきた。
福嶋屋という薬局の土蔵。
土蔵の横に何やら看板が立っている。
明治20年頃に建てられたものらしいが、地下1階地上3階とはびっくり!
この辺りは、勝沼宿、当時はかなり繁栄していたようだ。
早く、ちゃんと保存して欲しいー。
お隣の土蔵も立派なもの。
この3階建ての土蔵は15年程前に火災にあったため、
外壁がこのような状態になっているとのこと。
向かって左隣に主屋(薬局)があったようだが、
この土蔵が隣への延焼を食い止めたのだ。
もちろん蔵の中の物も無事だったそうだ。
見渡すと、通り沿いには古い立派な建物や蔵がたくさん建ち並んでいる。
東京に戻って調べてみたら、
江戸時代甲州街道の中で最も繁栄していた宿場がこの勝沼宿で、
甲州ぶどうや養蚕、木綿、柿などの商品作物を江戸へ輸送・販売して
町は経済・文化において大いに繁栄していたようだ。
それにしても、この大きな蔵いっぱいに入れる物があったなんて
さぞかし裕福だったのだろう。
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