リゾート地といえば、軽井沢・野尻湖・箱根・日光など、欧米人が原動力(あるいはターゲットに)となったところが多い。
そういえば那須はどうだろう?明治時代に華族が農場と別荘を建て、その縁で御用邸も・・・などなど、断片的に聞いたことはあったが。
先日の那須出張の折、帰り際に管理人の藤村さんにそのことを話したら、道の駅「明治の森 黒磯」に立ち寄ってくださった。お決まりのレストランや農産物直売所と揃ってはいるが、それらとは一線を画し、林の奥まったところに白い洋館が見え隠れしている。
明治21年、ドイツ公使や外務大臣、駐米全権大使などを歴任した青木周蔵子爵が建てた別荘で、当時から50m離して移築・復元され、一般公開されている。
  

「私は興味がありませんので、お待ちします」という藤村さんに恐縮しながら、入場料200円を払って中へ。邸内にはクラシック音楽が低く流れ、照明も白熱灯で、往時へのトリップ感も味わえる。
写真下左は真鍮のベッドが置かれた寝室。中は屋根裏部屋。ドーマーと中途半端な高さのフランス窓と畳がミスマッチ。右は青木が使用した馬車。
  
設計は岩倉使節団のメンバーとしてドイツに留学した松ヶ崎萬長男爵。一部の壁をガラス張りにし、松ヶ崎がドイツで学んだという筋交いの工法を見せている。

2階のホールから、かつては広大な農場を見渡せたのだろう。庭園は手入れが行き届き、建物の前庭は、季節によってお花畑にもなるそうだ。

明治政府が殖産興業政策の一環として那須野が原に疎水を拓いたことを契機に、青木をはじめ、松方正義や山縣有朋ら、華族や元勲といわれる人たちが続々とが大農場の開拓を行い、彼らの別荘も建築された。
「富国強兵」の時代背景があったとはいえ、彼らには欧州への留学経験から、“カントリージェントルマン”(19世紀後半、英国貴族は領地に城を建てて暮らし農繁期には農作業を監督し、農閑期の何ヵ月かはロンドンで過ごし、議会に出席したことからこう呼ばれている)への憧憬もあったのかもしれない。

これらの農場の中で、現在も残るのは千本松農場(前身は松方農場)のみ。別荘では山縣・大山・乃木(復元)など6邸が残されているそうだ。青木邸のみ、国の重要文化財に指定。