閑谷学校(しずたにがっこう)は岡山藩主池田光政が
「この地は読書・学問をするによし」として、藩の重臣津田永忠に命じて
建設を始めたが、講堂をはじめとした壮麗な建物が完成したのは
光政の死後、元禄14年(1701年)のことだった。

閑谷学校遠景閑谷学校遠景 

武士の子弟が学ぶ藩校は岡山市内にあったが、この閑谷学校は、
初めから庶民のための学校、地方のリーダーを育てる学校として創建されており、
現存する、庶民を対象とした学校建築物としては世界で最も古い建物といわれている。

正門閑谷学校正門

神社 石塀
左:池田光政を祭った閑谷神社   右:石塀

赤い備前焼瓦で覆われた建築物やそれらを取り囲んで長く続く石塀も、
閑谷学校の構造物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されている。

講堂閑谷学校講堂

講堂内部 講堂廊下 
左:閑谷学校講堂内部  右:閑谷学校講堂廊下

申込みをすれば、今でも講堂の床に正座して
論語の講釈を受けることもできるそうだ。

看板


閑谷学校公式サイト → http://shizutani.jp/