2010年06月 29日
箱根登山鉄道
梅雨の時期にもっとも美しくなるあじさい。
あじさい電車とも呼ばれる箱根登山鉄道に乗車。
標高が高いせいか、あじさいはまだまだ見頃を迎えていませんでしたが、
それでもちらほら咲いている色とりどりのあじさいはきれいでした。
運転士さんと共に。
ピンボケでごめんなさい。
下車した宮ノ下駅では山とあじさいのコントラストがきれい。駅の看板まで色を添えている感じです。
天気があまり良くなかったのも少し雰囲気があるかも。
宮ノ下駅から少し降りたところに素敵なカフェを発見しました。
早速寄り道。。。
ベランダからの山の風景も見ごたえ十分。
いまどきっぽいカフェですが。
実はここは今は無き、有名な奈良屋ホテルの伝統を受け継いだカフェなんです。
私は奈良屋ホテルを知りませんでしたが、ずいぶん由緒のある旅館だったんですね。
今はその姿が見れないかと思うと残念です。
その後の宿での風景を一枚。
箱根は今も昔と変わらない、豪華なものもありますが、ほっとできる静養地です。
温泉も豊富でゆったりとした時間が流れています。
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2010年06月 24日
下田で出会ったオーストラリア美人
南伊豆から足を伸ばして石廊崎に行ってみた。10年ぶりぐらいかもしれない。
暗くなってきたので、下田で車を止めて食事をすることにした。
繁華街は値段もよさそうなので、人通りの少ない奥のほうの小さなお店に
入ることにした。
お客は一人もいなくて、テレビの音もうるさいぐらい。
カウンターで一人わびしげに食事をしていると、外国の女性が一人で入ってきた。
恥ずかしそうににっこりとしながら、サカナ・・・とか何とか、注文している。
刺身に、ソースをかけそうになって、あわてて亭主がカウンター越しに、
醤油と差し替えたりと、お店もてんわやんわ。
にこりと笑う顔がとても愛らしかったので、写真を取らせてもらった。
シドニーから来た、ゴン何とか、という人。わさびがきつかったようだ。
場末の店に入ると思わぬことがおきるので面白い。
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2010年06月 18日
埼玉県 寄居町の「花園フォレスト」
花園インターの近くに、ケーキや和菓子、パンなど甘いものばかり集めた館が
ある。
花園フォレストといって、那須のお菓子の城に似ている。
綺麗な庭園と観光バスも止まれるほど広い駐車場がある。
地元の人も結構、来ているようで、お菓子の中には早々に売り切れているものもあった。
→→→「花園フォレスト」のサイトはこちら
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2010年06月 18日
庄内映画村
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2010年06月 10日
酒田市の本間美術館
酒田駅から歩いて5分ほどのところに、本間美術館がある。
地元の人に聞いたら、庭園は無料で見られるというので、
電車の待ち時間を利用して行ってみた。
無料ではなかったが、北前船でにぎわった酒田の文化伝統を感じさせる
立派な庭園だった。
新館。
本館(清遠閣/ せいえんかく)と前庭。
財団法人本間美術館のサイトはこちら↓↓↓
http://www.homma-museum.or.jp/index.html
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2010年06月 09日
新尾道駅は雨だった
新幹線で新尾道駅に到着。2時間ほどのほんの立ち寄りだ。
昼時で、御飯を食べようと思ったが、駅には食べるところが無い。
食堂も駅付近には見当たらない。
愛想の良い売店のおばさんに食堂を聞いて、そこに行こうと思ったら、
雨が強くなって引き返すことにした。
仕方が無いので、売店のおばさんお勧めの桜鮨を食べることにした。
どこか、見るところはありますか?と聞くと、無いね、とそっけない。
駅構内にある展示場で尾道見物した。
坂が多い人情味の厚い街というイメージがあるが、今度はゆっくりと
歩いてみよう。
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2010年06月 03日
35年ぶりの三宅島
学生時代の夏休みに訪れて以来35年ぶりに三宅島へ行って来た。
その時はバードアイランドのキャッチフレーズが付いていて、
緑に覆われた美しい島だったことを記憶している。
(三宅島には早朝5時に着く)
その後、昭和58年の噴火により、
島内で一番賑やかだった阿古の集落が溶岩流に飲み込まれ、
四百軒近い世帯が埋没してしまったことも覚えている。
この時は奇跡的にただの一人の死者も出さなかったそうだが、
その跡地の溶岩原には遊歩道が巡らされていて、
当時の小学校や中学校が2階まで溶岩に埋もれたままの姿で残されていた。
(左:溶岩原の下には400軒の家屋が埋まっている
右:溶岩に埋もれた集落の跡地を歩けるようになっている)
(左:中学校は2階まで埋まっている 右:溶岩に埋もれた小学校)
(溶岩原に頭を覗かせているのは小中学校)
そして、平成12年の噴火では有毒ガスが発生し、
全島民が避難したことは記憶に新しい。
この時に堆積した火山灰が泥流となって島のいたるところが埋め尽くされ、
豊かだった緑の樹木は立ち枯れてしまった。
山の斜面一面が白骨化した樹木に覆われている景色は地獄のようだ。
(左:廃墟となった建物 右:泥流により立ち枯れた樹木)
それでも地表は新たに芽生えた草や潅木によって緑に覆われてきている。
避難していた島民も戻り、ガスの高濃度地区以外では普通に生活している。
自然の猛威の前には無力ではあるが、
人間のたくましさ、強さもなかなかのものだと思った。
(左:神社は再建されている 右:白骨化した樹木)
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