2021年03月 25日
丹後半島先端あたりを一周
伊根市は丹後半島の先端、ここまでなかなかこれないので、海岸線を走ってみた。徐福神社があって、大陸から仏教を伝来するためこの地に上陸したという場所があった。2000年以上前の話で各地に徐福伝説はあり、実際にここに上陸したかどうかはわかりません。昔から日本は憧れの地だったのかもしれません。その地に生まれ住んでいることを大切にしたいと思います。
そこから戻って浦島太郎伝説のある神社に向かいました。この伝説も各地にありますが、この地が一番古い伝説の地ということです。
読者プレゼントのお土産もなかなか見つからないので、観光の中心地伊根の舟屋まで行きました。この入り江の奥まで入って伊根の舟屋の全体を撮影しました。生活の場が観光地になったもので、外観の美しさよりも生活の息吹が感じられるほうが見ていて楽しいものです。
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2021年03月 23日
懐かしい小諸懐古園
島崎藤村の詩、小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ、で有名な懐古園に久しぶりに行ってみた。いつ行ったかもわからないくらい昔に行ったので、どんなところかも記憶にない。詩の遊子の意味がよくわからなかったが、旅人の意味だ。ここがお城だとも思わなかった。関ヶ原の戦いで、徳川秀忠の大軍がここを居城に上田城を攻めたが、結局落とせず、秀忠は関ヶ原に間に合わなかった。徳川はその前にも上田城を攻め落とせなかった。
藤村の石碑もあった。夕暮れで桜が咲き始めている。
藤村はこの地で義塾の先生をしていた。そのころの懐古園はどんな感じだったのだろう。
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2021年03月 18日
人情味厚い光秀の居城 福知山城下町
新幹線で新大阪で乗り換え福知山駅に着いたのは午后9時をまわったところ。福知山は大雨で、ホテルまでは5分ぐらいかかりそう。場所もよくわからないので、駅前にあるつけ麺ラーメンの店で場所を聞いたところ、わざわざ外に出て行き方を教えてくれた。手に持っていたビニール傘を、良かったら使ってくださいと渡してくれた。このまま。5分も歩けばびしょぬれで大変だったろう。
翌日、明智光秀の居城福知山城に行ってみた。大河ドラマの影響か、結構人も集まってくる。大きな城ではないが、しっかりとした守り中心の堅固な城だ。
翌日、福知山駅まで出たので傘を返そうと寄ってみたが、営業時間外で閉まっていた。東京は大雨と天気予報で言っていたので、そのまま持ち帰ることにした。
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2021年03月 10日
横浜山下埠頭でガンダム始動
山下公園は学校を卒業してすぐ船会社の荷役の仕事をしていたので、懐かしいところだ。南米航路の船に荷物を積んで就航するまでの作業を段取りするのだが、当時は高度成長期で毎晩深夜遅くまで仕事をしていた。
この埠頭の一番奥にガンダムの館がある。入場料を払ってスナックも食べたが結構の料金だった。30分ごとに動くので食事中にも発進した。15分ほどの作動時間で終了。
見物する人も平日だけど結構いる。大きなガンダムが動くさまは迫力がある。
山下公園周辺は建物もきれいで街並みも美しい。東京にはこれだけ風情のある街は無いように思う。
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2021年03月 07日
真鶴岬先端の三石は遠足で来た
真鶴岬の先端にある三石は、小学校か中学の時の遠足で来たから、少なくとも55年ぶりだ。先端の三石までは気軽に行ったように思ったが、階段を上り下りしなければならず、結構きつい。当時は全く気にならなかったのだろう。
幕末、ここには砲台が作られ、外国船を警戒していた。江戸城のお堀の石もここらあたりから、掘られて送られた。
真鶴は、湯河原や熱海のように観光化されていないので、素朴な漁師町のように感じられる。魚介類を食べさせる店も結構人気がありそうで、コロナ過でも混んでいる。
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2021年03月 03日
河津桜は雨で丁度良い
一足早く咲く伊豆河津の桜は、濃いピンクでほんのりとした春の気分に浸りにくかった。シーズンが過ぎて雨の降っているときの河津桜のほうがしんみりとして感じが良い。
散っている桜も雨の景色も河津桜には似合っている。学生時代旅館でアルバイトしていたとき、源泉がこの付近にあったので、時々点検にこのあたりに来ていた。アルバイト当時の仲間や旅館のスタッフが思い出される。いつか旅館の客になって泊ってやろうと思っていたがいまだ実現していない。
人通りも少なく、お店も閉まっているところが、ほとんどだが、伊豆の踊子の出発点の雰囲気は感じられる。
ここから、天城峠を越えて東京に帰る道も選べるが、伊豆半島の東海岸を走って変えることにした。
早く帰って、一仕事しようと思ったのだが、河津から東京は結構時間がかかる。到着は午后九時ごろ、書類を整理して午後11時半になってしまった。
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