ヴォーリズ展など、建築やデザイン関連のユニークな展示の多い
パナソニック汐留ミュージアムで、「今 和次郎(こん わじろう)展」を
みた。


今は1888年、青森県弘前市に医者の息子としてうまれたが、医学の
道ではなく東京美術学校(現・芸大)に進学。

卒業後はドローイングの腕をかわれて柳田國男(民俗学者)の農村・
民家調査に同行。
埼玉県比企郡高坂村(現・東松山市)の家。1918年
「雪に埋れる山の村の家」新潟県中頚城郡
                             (現・妙高市)」1917年


関東大震災後の復興期には、卒塔婆や土管まで動員して建てられた
さまざまなバラックをスケッチ・観察するうち、バラックに色彩を施し”生活を
芸術とする”アーティストらとともに「バラック装飾社」の一員として活躍。

トタンやムシロを使って建てられたバラックのスケッチ(切迫から生まれた
中に、数々の工夫が感じられる)。
null

破天荒な半生に見えるけれども、早大理工学部建築学科の教授に在任の
40年近くの間に、関東大震災の被災者の生活支援活動の拠点となった
「東京帝国大学セツルメント」や、1930年代の東北飢饉後には国の委嘱により
「恩賜郷倉」(穀物の備蓄倉庫)、同じく東北の豪雪地帯の雪害対策として
住宅改善の方法を研究し、雪下ろしの必要がない急勾配の屋根を持ち、
食料がたっぷりと備蓄できる実験農家を設計するなど精力的に活動した。

山形県新庄市の「雪国試験農家家屋」(1937年)


研究分野は建築にとどまらず、服飾・風俗・生活・家計に及び、現在の
暮らしの事象を採集・観察・記録して、考古学に対抗する「考現学」を
編み出した。
さまざまな暮らしを「ひろい心でよくみる」ように心がけ、そのうえに「新たな
創造がある」。生活に根ざした柔らかな発想の展示作品はここでは紹介
しきれない。

考現学は広く知られるものとなったけれど。
現在の日本、この冬の豪雪では雪下ろしによる死者は数100人に及ぶ。
長野県栄村の震災後の復興にしても、豪雪地帯の同村の仮説住宅など、
積雪の重みで屋根の倒壊が懸念されたプレハブだったし…。

今の遺訓は数多くあるのに、現在にほとんど生かされていないのは
あまりに惜しい。


パナソニック汐留ミュージアムで、10時〜18時。月曜休み。
〜3月25日まで。