2012年12月 22日
智恵子の生家・二本松市
智恵子抄で有名な高村光太郎の妻長沼智恵子の生家は造り酒屋だ。
裕福な家庭でなに不自由ない生活をしていたようだ。
日本女子大を卒業し、光太郎と結婚したが、智恵子が30代のとき、
造り酒屋は倒産し、一家は離散した。
その頃から、智恵子の精神障害は激しくなる。
智恵子は、この生家に愛着を持ち、光太郎と結婚してからも
時々帰っていたようだ。
2階の庭側の四畳半が智恵子の部屋、
光太郎は向かいの九畳の部屋に滞在した。
敷地内に智恵子記念館も併設されていて、十和田湖の乙女の像は、
もう一つ小さいのがあり、ここに展示されている。
順路に従うと、智恵子の絵や紙細工などと並列して、光太郎の
’東京の空’などの詩が寄り添うように展示されている。
レモンには、死の直前、智恵子に正気が戻る一瞬が書かれている。
光太郎の詩は何の技巧にも頼らない素直な詩だが、
読み終わってもその場を離れられないような感情を呼び起こす。
館内は撮影禁止だが、係りの人が一部だけ許可してくれた。
智恵子の生家に少し長くいたので、次の待ち合わせ場所へは急がなくては。
裕福な家庭でなに不自由ない生活をしていたようだ。
日本女子大を卒業し、光太郎と結婚したが、智恵子が30代のとき、
造り酒屋は倒産し、一家は離散した。
その頃から、智恵子の精神障害は激しくなる。
智恵子は、この生家に愛着を持ち、光太郎と結婚してからも
時々帰っていたようだ。
2階の庭側の四畳半が智恵子の部屋、
光太郎は向かいの九畳の部屋に滞在した。
敷地内に智恵子記念館も併設されていて、十和田湖の乙女の像は、
もう一つ小さいのがあり、ここに展示されている。
順路に従うと、智恵子の絵や紙細工などと並列して、光太郎の
’東京の空’などの詩が寄り添うように展示されている。
レモンには、死の直前、智恵子に正気が戻る一瞬が書かれている。
光太郎の詩は何の技巧にも頼らない素直な詩だが、
読み終わってもその場を離れられないような感情を呼び起こす。
館内は撮影禁止だが、係りの人が一部だけ許可してくれた。
智恵子の生家に少し長くいたので、次の待ち合わせ場所へは急がなくては。
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