「道の駅 花かげの郷 まきおか」は、葡萄や桃の畑の広がる牧丘エリアにある。
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小高い丘に作られ、丘のてっぺんに富士を一望するビュー・ポイントがある
ほかは、野菜の直売所と軽食の提供、みやげものの販売と、珍しくもない
道の駅の風景だ。

直売所はかぼちゃやこんにゃく芋など、晩秋のラインナップだった。
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みんなよく育って…。
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やや離れて、ポツンとたたずむ洋館が。何やら明治の香り。
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入場料100円を払い、スリッパに履き替えて中に入った。

建物は1876年(明治9年)にこの地区に開校した室伏学校を移築した
もので、現在は郷土資料館となり、地元の集まりにも利用されている。

1階は明治期の教室を再現。黒板の脇には校歌が貼り出されていた。
その下にあるオルガンは、ある世代以降の人には非常に懐かしいものだ。
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2階には、さまざまな展示があった。
当時の教科書たちだ。
左は美術?右は地理。二宮尊徳の絵も写りこんでいる。
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左は算術、右は楽典。
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印象に残ったのは、郷土出身のひとびとを顕彰する展示。
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駅名の”花かげ”は、童謡詩人の大村主計(かずえ)による
「十五夜お月さん」の歌詞から。

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました…

明治うまれの祖母が、むかーし、歌っていたような。


県下に林業を興した大村 光太郎という人の写真や紹介もあった。
明治7年(1874年)うまれの大村は、「山村に生きるものは山造りが使命」の
信念のもと、治山治水・防火のために杉・檜・赤松の植林に情熱を傾けた。
自分の持ち山の造林が成功するとその半分を郡に寄付。
学校林をつくり、村長・森林組合長として、植林・治山事業を推し進めた。
昨今、針葉樹の森はマイナスイメージと受け取られているが、森をつくる
ことすら考えられていなかった時代だ。

草絵の創始者・妣田圭子もこの地のうまれ。作品と彼女が寄贈した
ルーベンスの版画も多数、展示されていた。

すべての部屋の窓は鎧戸が閉ざされ、館内は暗かったけれど、美術館のような
スポット照明の中に、明治という時代を生きたひとびとが浮かび上がってくる。

直売所に並ぶ旬の作物は自然の恵みとそれを生かしきる農家のしごととして
充分にありがたいけれど、こうした資料館が併設されていると、よりその土地への
親しみが増すことを実感。

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