このたびの東北・太平洋沿岸地震および長野県北部を震源とする
地震に際し、被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げ、
1日も早い復旧をお祈りいたします。



神宮前にあるマクロビ・カフェの老舗「MOMINOKI HOUSE 」で、
編集長と遅いお昼をとっている最中、14時もだいぶ回ったころに
ぐらぐらっときた。

揺れは長く続くうえ、急に激しくなるので、そのたびに、店の主人や
スタッフと一緒に、店から出たり、入ったり。
外に出ると、私たちと同じように飛び出してきたひとが大勢いた。

電線が揺れ、道路も波打つように感じられると、膝ががくがくして、
眩暈すら覚える。
足元が揺れるって、こんなにもひとをおぼつかなくさせるのか。



会社の状況が気がかりだったが、私のdocomoは携帯・メールともに
つながらず、連絡のとりようがない。

余震の中、とりあえずは会社に戻ろうと、ふたりして表参道に向かって
歩いていると、おお、交差点付近で、仕事仲間たち発見!
出張中の上司と連絡が取れ、帰宅を許されたという。

午後4時とはいえ帰宅する勤め人たちで、青山通りの舗道はごった返す
という言葉がふさわしい。
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私もそれに混じった(携帯画像、ピンボケご容赦)。


電車はすべて止まっているが、バスは動いていた。歩きとおす自信は
なかったので、バスを使うことに。
写真下:落下の可能性のある場所を立ち入り禁止にした渋谷駅付近。
向こうはバスターミナルに向かう人びと。
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思った通り、バス停は超・長蛇の列。路線ごとの行列の最後尾を、
スタッフが声も限りに知らせていた。
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乗車できたのは2時間後、暗くなってから。車道は大渋滞し、5時間、
立ちづめだった。飲まず食わずでも、空腹感もなかった。

車窓から舗道を見ると、徒歩で帰宅するひとで大混雑。勤務先から
支給されたのか、ヘルメットを被ったひとも。歩いたほうが早いような
気もしたが、体力の消耗を考えてガマン。ベビーカーを押して歩く
仕事帰りらしい女性を、バスは渋谷から桜新町まで追い越したり、
追い越されたり。まさに牛歩。

その後、運転を再開した電車に乗り継ぐことができた。自宅の玄関ドアを
開けたのは、日付が変わった直後。
いつもは電車で片道40分の道のりに7時間以上を費やしたことになる。

途切れ途切れに通じたメールで、なんとか家族や知人の安否確認や
情報収集もできたが…。
帰宅してつけたTVには、信じられない光景が広がっていた。

本日午後5時のニュースで、福島の原発で「炉心溶融」が起こった
と報じている。
映画「渚にて」(1959年、S・クレイマー監督)を思い出した。
第三次大戦後、核汚染による人類滅亡が避けられなくなったことを
知ったひとびとが安楽死を選ぶ。

まさかのことがこれから起きても、しっかりと直視する心の準備をしなくては
ならない。
そう思った。