秋たけなわ。「金澤町家情報バンク」の取材後、兼六園の雪吊りの
スリリングな固定作業を横目に、ワンコインバスと足を使って町家探検へ。

町家は、兼六園や金沢城と並ぶ金沢の歴史的な財産。
ひがし茶屋街の町家はさすがに洗練された情趣が漂う(黄色いジャンパー
姿はボランティア観光ガイドの「まいどさん」)。
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格子の色に合わせた雨どい。
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公衆電話ボックスや交番、教会にも町家のニュアンスが織り込まれて。
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教会わきの川水、透明だった…。
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ブティックなどお洒落に生まれ変った町家には心が弾む。サイドの壁の
グラデーションが何ともいえない。
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モダンな意匠は藩政時代からのもの?
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まちの修景の手法も見識が感じられる。
無電柱化に向けて低コストの金沢方式(変圧器などを照明柱に
埋め込む)を編み出したり、
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欧州のように軒下に配線したり。
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「金澤町家バンク」の発足前には年に200件の割合で取り壊されていた
という町家。
まとまって残存する一角もあるが、穴あきのようになっているエリアも。

空き家かな?(…じゃなかったら失礼)
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玄関先をゆかしく彩る菊の数鉢。東京では見なくなったなぁ。
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昭和モダン風な町家から、若いお母さんがベビーカーを押して
出てきた。若い世代にとって町家の住み心地はどうなのかな?

通りすがりざま、お母さんから「いいお天気ですね〜」と声をかけられた。
赤ちゃんもにこにこしている。

友好的な対応に意を強くした私、「すてきな町家にお住まいですね♪」。
彼女はうなずき、「貸して下さった方に感謝しています」。
そうか!「金澤町家バンク」の賃貸を利用されたのですか?
返ってきたのは、「被災しました」の思いがけない言葉だった。

彼女は、里帰り出産のため滞在中だった宮城県石巻市の実家で
3月11日を迎えたこと。
津波は家まで押し寄せ、産後まもない赤ちゃんと上のお子さん、
お母さんとともに2階の押し入れの上で3日間、救助を待ったこと。
津波に襲われた際に海水を飲み、震災から8カ月を経た今でも、
一緒に避難しているお母さんともども気管支の具合が悪いこと。
などを話してくれた。

小春日和のもと、平和な古都の町家に住まう親子の散歩風景を
勝手に想像した気まずさもあって、町家の撮影も、住み心地を
聞くこともできないまま、別れ際に「からだを大切に、ご家族と仲良く…」
と言うのが精一杯。

「ここは静かで、空気がよくて、気に入っています」。
終始、微笑みながら話してくれたが、地震で家や共同体を失った上に
農林産物や海産物に対する放射能の影響も懸念されている故郷への
彼女の思いを考えるとやりきれない気持ちになった。


放射能については言葉もでないけれど、どうか彼女たちが健康を取り戻して、
生活が再生できますように。
町家も、まちの歴史資産として、美しく丈夫に蘇りますように。

思わず心の中で祈りを捧げた。