2010年06月 03日
35年ぶりの三宅島
学生時代の夏休みに訪れて以来35年ぶりに三宅島へ行って来た。
その時はバードアイランドのキャッチフレーズが付いていて、
緑に覆われた美しい島だったことを記憶している。
(三宅島には早朝5時に着く)
その後、昭和58年の噴火により、
島内で一番賑やかだった阿古の集落が溶岩流に飲み込まれ、
四百軒近い世帯が埋没してしまったことも覚えている。
この時は奇跡的にただの一人の死者も出さなかったそうだが、
その跡地の溶岩原には遊歩道が巡らされていて、
当時の小学校や中学校が2階まで溶岩に埋もれたままの姿で残されていた。
(左:溶岩原の下には400軒の家屋が埋まっている
右:溶岩に埋もれた集落の跡地を歩けるようになっている)
(左:中学校は2階まで埋まっている 右:溶岩に埋もれた小学校)
(溶岩原に頭を覗かせているのは小中学校)
そして、平成12年の噴火では有毒ガスが発生し、
全島民が避難したことは記憶に新しい。
この時に堆積した火山灰が泥流となって島のいたるところが埋め尽くされ、
豊かだった緑の樹木は立ち枯れてしまった。
山の斜面一面が白骨化した樹木に覆われている景色は地獄のようだ。
(左:廃墟となった建物 右:泥流により立ち枯れた樹木)
それでも地表は新たに芽生えた草や潅木によって緑に覆われてきている。
避難していた島民も戻り、ガスの高濃度地区以外では普通に生活している。
自然の猛威の前には無力ではあるが、
人間のたくましさ、強さもなかなかのものだと思った。
(左:神社は再建されている 右:白骨化した樹木)
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