佐野市赤見の出流原(いずるはら)で湧水を汲もうと向ったが、途中暗くなってしまい田中正造の旧宅前で断念した。

正造の生家は前にも来たことがるが。道路の反対側には公民館がありその隣に田中正造のお墓があるのは知らなかった。

生涯足尾銅山の公害問題に取り組んだ偉人として教科書に載る人だが、幼少期はわがままで手に負えない少年だったようだ。

生まれた地域をこよなく愛したようで、晩年は道端に転がっていた石を拾いとても美しいと大事に懐にしまっていたという話しを読んだことがある。