2019年02月 21日
伊豆スカイライン冷川の巨大構造物訪問
小田原厚木道路から、伊豆スカイラインに入るには、箱根新道から熱海峠に向かう。箱根ターンパイクは有料で箱根新道は無料だから。終点の少し手前にピラミッドぐらいの大きさの巨大建造物がある。明らかに宗教団体のものだが、ここに立ち寄ってみた。



入り口で見学の電話をして見学者受付まで2キロぐらい立派な道を走る。右左は500台も駐車できるような駐車場がいくつもある。受付で温和な女性に迎えられ、本堂への道を教えてもらい、徒歩で向かう。芝を貼った綺麗な庭のような敷地を5分ほど歩くと巨大な建造物の前に出る。その正面の階段を上がるとやっと本堂の入り口になる。





入り口を開けると中ではかわいらしい20歳代の女性が優しく迎えてくれた。広大な建物の中には誰もいないが、ちょうどピアノの生演奏が始まった。本堂は畳が引いてある。巨大建造物は高さ60メートル以上、中は吹抜けになっていて講堂のような状態。正面に黄金の社がある。本堂構内には、1万人近い人が海外からもお見えになり毎月一回集まりがあること、多いときは会場の外にも人があふれること、など話してくれた。教義などの説明も無く、名前も聞かれず、ほのぼのとした会話で終わった。ヤマギシ会、マオ美術館の農場、新しき村、など訪問したが接する人は温和な人が多いと思う。毎月1万人もの人がここを訪れるのだから、伊豆スカイラインの収入も馬鹿にならない



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2019年02月 13日
伊勢志摩は牡蠣だらけ
名古屋から2時間ぐらいで鳥羽に着き、そこからレンタカーで海岸線を走る。志摩半島は海と複雑な入り組んだ地形が魅力的で景観も美しい。東京の近くに会ったら、すごい観光地になったろうと思う。三連休の最後の日だけど観光客も少ないし車も少ない。


別荘地は海沿いに作られたところが多く、海に面した土地なども多い。海岸に出ると牡蠣が海の中に見える。貝殻だけかと思ったら、そのまま食べられるとのことで、別荘の人に食べさせてもらった。ちょっと、砂が混じっているが、おいしく食べられる。冬場なら、いくらでも食べられるが、暖かくなるともう食べられないそうだ。海岸にいくらでも食べられる牡蠣があるところは、あまり見かけない。





途中の店でも牡蠣は売っているが、拾った牡蠣を一杯食べたので、タコ棒と海鮮搔揚げという魚の白身を揚げたものを昼食代わりに食べた。



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2019年01月 31日
富士の麓でジンギスカンを食べる
東名裾野インターから富士五湖方面に向かう富士山麓は、牧場が多い。ジンギスカンの旗が立っている牧場があったので、やっているかどうか心配だが、食堂も見当たらないので行ってみたら、団体客が入っていて結構にぎやかだった。北海道と違ってジンギスカンはさっぱりしていた。




帰り道、須山浅間神社の鳥居を見かけた。山梨上野原の軍刀神社(ぐんだり)でお参りしたら、いいことがあったので、寄ってみることにした。古い神社で日本武尊が創紀したとか。お参りしてちょっと気になったのは、戦勝祈願した人の名前。平兼盛、武田勝頼、今川家など有名だが負けた人たちなのでちょっと心配になった。






ここの杉は樹齢500年以上の立派なものだ。

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2019年01月 26日
戸隠高原現地調査のリベンジに成功
年末の28日、長野市戸隠の調査を雪でストップされたので、思い切ってリベンジした。長野市内までは快晴、道に雪はない。これから、七曲りの山道を登り大座法師池に向かうあたりから雪道になる。今日は雪もほとんど無く、年末の状態とは違う。更にバードラインをむかうと、カーナビは近道を指示したが、この道で失敗したのでそのまま遠回りして現地の越水に到着。雪は結構あるが、現地が確認できないわけではない。行くか、行かないか、出発時結構迷ったけど、リベンジ成功だ。



雪の中を足腰まで埋まりながら、現地を確認したあとは、冷え切った体を温めたくなったので、近くの温泉に入ることにした。神隠しの湯があり,そこに入ることにした。昼ごはんも食べていないので、戸隠そばを食べて入湯。いつもマイタオルセットを持っているので、入湯料のみではいる。中には、誰もいなかったが、小さな男の子が入ってきて、どこから来たとか、人懐っこく聞かれたが、この温泉の子かもしれない。





帰りの道をカーナビは、行きと違う道を指示する。淺川ループラインといって、途中ループ状の道を下る。しばらく行くと長野市街地にはいるが、戸隠の様子とは一変する。
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2019年01月 19日
早朝の平塚サービスエリアで見かけた雲
何時も、伊豆・熱海方面に向かうときは、小田原厚木道路の平塚サービスエリアまで走って休憩する。ここには、各種の珈琲が揃っていてカップの大きさを選んで好きなものを勝手にえらんでレジに持っていく。Sサイズは190円。ブレンドしても構わない。隣のコーナーには、焼きたてのパンがおいてある。朝食後なので、甘いパンを一つ買って、珈琲はモカを選んだ。




外に出ると、富士に向かって、面白い雲が田園風景の向こうに広がっている。薄い層のまま、横一面にどこまでも広がって反対側は海のほうまで伸びていく。こんな雲がぐるぐる回転して転がっていく光景がオーストラリアで起こるのをテレビで見たことがある。ここでは、やがて消えてしまうのだろう。
早朝の富士はきれいだった。






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2019年01月 04日
南会津町のお城跡
南会津町は小さな町だが何百年も続いたお祭りも伝統に基づいて華やかに毎年開催されている。これといった観光名所も無く、ソースカツ丼ぐらいが名物で地味な街だ。
待ち合わせしている時間よりも早くついたので、城跡を探してみたら、中世の戦国時代より前にあった鴫山城がみつかった。




おおきな山の中腹にある南会津の中核の城だ。上千畳は本丸のあったところ、下千畳はその下にある政務をつかさどる場所、鳥居に両脇は武家の屋敷があったようだ。




途中の札所のようなところには、合格祈願のお札が一杯並べてあった。会津のような古い町には、なんとなく歩いていても歴史文化がしっかりと根付いているのが良くわかる。



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2018年12月 30日
戸隠高原で大雪に進路を阻まれる
仕事納めの日の長野市は比較的穏やかな天気、雪は少しちらついているが積雪もない。戸隠越水は長野市郊外。九十九折の山道を登って戸隠中社の方向に昇っていくと次第に雪が降ってきた。だんだんと積雪のある地域に入ってきて、大座法師池あたりの戸隠バードラインに入るとあたりは一面の雪。ここからカーナビどおり、一旦山道に入り狭い山道を上り始めた、道路の轍もないような道は積雪もかなりあり上り坂、一旦停止すれば上れそうもない。もう少しでバードラインに再び出られる少し手前の道路をさえぎる乗用車が見える。



こちらの車もストップせざるを得なくなり、走行は不能、2時間ほど待ってJAFの助けに頼ることになった。まず。手前の車の牽引だが、横になっているので、手間がかかる。



手前の車を何とか、バードラインに引き上げて、やっとこちらの番。手前の車の運転手も手伝ってくれて、やっとバードラインまで出ることが出来た。もうあたりは暗くなり、現地調査も出来ない状態。目的地の近くまで行ったが、大雪で現地も確認できない。ここは4輪駆動車で来ないと無理かもしれない。


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2018年12月 08日
岐阜中津川には馬籠宿があった
木曽路は全て山の中にある・・・これは有名な島崎藤村の夜明け前の出だしの文だ。夜明け前の舞台になったのが、馬籠宿。だから、馬籠宿は長野県木曽地方にあると思っていた。中津川の駅前の観光看板を見ていたら、馬籠塾が見つかって近そうだから行ってみた。





有名な宿場で観光スポットとしてにぎわっているのかと思ったが、意外と小さな宿場でお店も数件。観光地というよりも昔のままの馬籠宿の様子も感じられる。


一度行ってみたかったところだが、偶然場所が見つかっていくことが出来た。
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2018年12月 07日
82銀行上田東支店
82銀行は長野県の代表的な銀行、上田東支店はちっぽけな支店だと思っていたら、近代化遺産の無形文化財建物と同じ敷地内にある立派な建物だった。上田は養蚕が盛んで信州大学の繊維学部(?)に入ったら広いのに驚いたことを覚えている。








少し前に世界遺産になった富岡の製糸工場と似た雰囲気だが、ここは現役の仕事場で観光地ではない。職員の人にことわって中を撮影させてもらった。コマーシャルでやる大分麦焼酎二階堂のような写真になればいいな、と思いながら撮影した。












上田は真田の居城で有名だが、もともとは信濃国分寺のあったところ、養蚕でも本場なのだ。
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2018年11月 30日
三国街道群馬水上町の名胡桃城(なぐるみじょう)
ここは、一時真田昌幸の居城だった。昨年の大河ドラマで真田は有名になったので、真田家の城のように扱われているが、策略を持って手に入れた城でもともとは違うようだ。






ただ、真田家が支配していたとき、北条家の家臣が攻略して奪ったので、豊臣秀吉がそれを口実に北条攻めに入ったようだ。その意味では、時代を変えた城といえる。






真田の城らしく、くねくねと曲がった攻めにくい城だ。






4時半になるともう暗くなる。ゆっくりと写真は撮れない時期だ。
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