2014年10月 11日
伊東の老舗旅館にご招待されて
物件のオーナーが旅館の経営をされていて、調査の後旅館にご招待されました。ご自身の敷地に源泉がある伊東でも有数の湯量を誇る旅館で、大きな旅館ではないが、少人数の温泉好きのお客様が、度々訪れてくれるとのことです。





露天風呂が二つ、内湯が大小二つ、各風呂は入り口に入浴中の札をかけると貸切になります。他に、浴室付きの大きな客間が二つありますから、宿泊客はほとんど貸し切で、いろんなお風呂が利用できます。食事は夕食は無く、希望者に朝食500円で出します。付近には、食事のできるところも多いので食事の心配はありません。一泊朝食なし5450円、朝食込み5950円(税込み)。鈴伝荘(伊東)







お湯は60度ぐらいの熱いお湯がでるので、冷やす装置を作って、引き込んでいます。


気楽に泊まれるので、仕事で宿泊する人もいるようです。
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2014年10月 05日
秩父・花桃の里と寄居・鉢形城
秩父の山の中の物件調査は、どこかハイキングをしているような気分になる。リュックを背負った年配の人やサイクリングしている若い人とすれ違うことが多い。秩父でのハイキングは、寺社や渓流・湧き水に気楽に触れることができるので、数回楽しんだことがある。
物件調査した東秩父村大内沢はのどかな集落で、花桃の里として春には桃の花が満開になり、訪れる人多いようだ。




大内沢の集落を経て帰りの道を走っていたら、どうも見覚えのある場所に出てきた。そこは、今年の連休にハイキングで訪れた寄居の鉢形城から帰る途中、道に迷って秩父の山に入りかけたところだった。ここで地元の人に、道を聞いて引返したからよく覚えている。偶然鉢形城に出会ったので、ちょっと立ち寄って帰ることにした。
鉢形城は、戦国時代からあるお城で、今は公園と博物館がある。今日はお月見の会があるようで、和服姿の女性が目立っていた。広い敷地で良く整備されているが、寄居の駅からは歩いていくには少し遠いような気がする。



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2014年09月 13日
尾道から伯方島にむかう
広島の尾道で下りて、伯方島にむかった。調査物件近くには、八幡宮がある。ここは、7世紀ごろ九州博多のお寺から分霊されたところで、伯方島(はかたじま)という島のもとになったようだ。縁結びの亀石が鳥居のところにあり、パワースポットになっているようだ。ご利益を願って階段を上ってお参りしたいのだが、下から見るとかなりの段数があり、登るのはやめた。



調査物件の近くで、お年寄りが畑仕事をしていたので、ほったらかしにしてある蜜柑をもらってきた。甘夏蜜柑で、手前の青いのは伊予柑とのこと。


しまなみ街道は、広島尾道から四国の今治まで、瀬戸内海の島々をわたっていく。テレビのダッシュ島もこの近くにあるようだが、分からなかった。
調査も終わり、尾道にUターン。帰りの新幹線は、こだま、さくら、ひかりを乗り継いで帰るので、尾道での待ち時間は1時間ある。駅近くで尾道ラーメンを食べて帰ることにした。尾道ラーメンは、魚系のだしの味がする。浜松餃子もついでに食べてみたが、こちらは野菜系の餃子で少し甘みがあった。




7時2分新尾道出発、東京駅には、最終のひかりで着く。
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2014年09月 10日
閉鎖されていた伊東市の満鉄ホテル
だいぶ前に、世にも不思議なホテルとして、日記に書いたことがあるムクデン満鉄ホテルが休業していた。いつ行っても車一台人一人見かけないのに、駐車場も敷地もきちんと整備されていて不思議だと思ったのだが、今回近くを通り過ぎたら、草は伸び放題、壁には苔が生えていた。



このホテルにはいつか泊まりたいと思っていたが実現できなかった。満州は暗いイメージがあるが、それでも夢を求め渡満した人は、裕福に暮らせた人も多い。満州人を雇いハイセンスな生活を送っていた人々のイメージが残り、その生活から悲惨な現実に遭遇し、いつまでも満州での生活の郷愁を感じている。そんなイメージがこのホテルに有り、一度泊まってみたかったのだ。



壁にある人名から察すると、経営者はとても愛国的な人で、熱心に満州国の発展を願っていたようだ。壁には知らない名前が多く書かれているが、愛国者と清朝を最後まで支えた人の名前が多い。ただ、このひとたちは一方で軍部には抵抗をした人ばかりだ。
もう泊まることはできないが、もし再開したら行ってみよう。
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2014年08月 25日
赤城の怪しい寺で見かけた只者ではない人
赤城山の麓から桐生市に向かう途中に、度派手なお寺の看板を見つけた。

普通ではない感じがしたので、立ち寄ってみた。狭い道を上り詰めると、金と欲に満ち溢れた誰もいない境内があった。志村けん奉納など描かれた石札もある。





それにしても広い境内の設置物にはお金がかかっている。いたるところに高級車があり、住職の家らしきところにも置かれている。


帰り際に、高級車が登ってきて停車し、中からきちっと整髪した伊勢谷友介似の容姿端麗な40前後の男性が降りてきた。キチンと挨拶されたが、どうみても只者ではない雰囲気、あり余るお金を持っていそうだと感じた。


それにしても、奇妙なお寺だ。
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2014年08月 23日
真田氏一色の松代と上田
2016年の大河ドラマは、真田丸ということで、長野市上田市あたりが舞台になる。松代の町を歩くと、真田氏の六文銭の旗印ばかりが目立つ。松代には長野電鉄松代駅があったが、今は駅舎だけが残っている。廃駅の前が、松代城で真田氏が幕末まで城代だった。真田氏と言えば、真田幸村が有名で、幸村は大阪城で最後まで戦って、徳川家康暗殺まで企てたのだが、兄の信幸は徳川方に味方した。どっちかが生き延びようと、栃木県佐野市犬伏で決めたようで、家康は残った真田家を大事にしたようだ。










松代城の前には池田満寿夫美術館があった。


それにしても松代の夜は早い。町中歩いても午後7時を過ぎると食べ物やがみつからない。真田街道でようやく割烹料理屋をみつけた。お客は誰もいなかったが、常連と思っている老婆があとで来て、食事を頼んでいた。どこに行っても、老夫婦か老婆と一緒に食事することが多い。





上田菅平から長野原に向かう道は、幸村街道と呼ばれている。ここも六文銭の旗印ばかりだ。






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2014年08月 08日
韮山江川邸前で出会った素敵な野良着の人
伊豆韮山は、源頼朝と北条政子の出会った場所だが、ここには幕末ペリーの来航に危機感を抱いて、江戸お台場に砲台を設置した時の代官、江川氏の館がある。




もう閉館していたが、写真だけ撮らせてくださいと頼んだら、中に入れてもらいました。





この江川邸の前を通る野良着の女性に出会った。藍色に染まった衣装で、農作業に出かける姿は、とてもカッコウが良かったので、後をついて畑にお邪魔した。


畑では、綿を作っているそうで、収穫して加工したり、売りにだしたりするそうだ。写真を撮らせてくださいとお願いしたら、こころよく応じてもらえた。


江川氏が大砲をつくった反射炉が、近くにあるので、行きかたを教えてもらった。反射炉の付近には、地ビールレストランなどがあり、観光スポットになっているが、もう閉まっていた。





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2014年06月 25日
相生から米子空港へ強行軍
相生から途中鉢伏高原を経由して米子へ調査しながら向かうのはかなり厳しい日程だ。
道に迷ったら、最終便に間に合わなくなる。8時営業開始のレンタカー会社に30分も前から座り込んで開くのを待った。ここで、レンタカー会社の女性職員に感謝。最初の場所がわからなかったのだが、カーナビにマップコードという機能があって、緯度経度で精確に場所が特定できることを始めて知った。近道も教えてくれた。
アドヴァイスを受け順調に進むことが出来た。国道9号線で鳥取に入ると、道の駅はわい、というのがあったので寄り道してみた。




山陰の町は落ち着いていて風格がある。琴浦町八橋で小泉八雲が新婚のとき、逗留した旅館というのがあった。営業しているのかと思ったが、中には誰もいないので、勝手に上がりこんで見てきた。







山陰の海はとても綺麗だ。

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2014年06月 20日
長野飯山の謙信寿司
上杉謙信は、武田信玄との戦のとき飯山をよく通ったらしい。そのときの兵糧に使ったのが、謙信寿司。


寿司御飯にキノコや山菜を乗せたものだが、やはりお寿司は魚介類のにぎりが良い。お蕎麦も食べたかったので、正受庵御前を頼んだが、両方とも主食でちょっと量が多かった。味も特においしいとは思わなかった。




飯山は古い町だが、北陸新幹線飯山駅が急ピッチで来年5月完成を目指している。

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2014年06月 19日
函館・黒松内へ必死の行程、二つの親切に感謝
函館から寿都郡黒松内町はかなり離れているので、日帰りできるよう前日から黒松内町役場にも連絡を入れ段取りを組んでおいた。準備万端で、早朝6時前に羽田空港に到着。6時55分函館行きに乗ろうとしたら、大変なことに気がついた。
運転免許証がないのだ。レンタカーでの予定がすべておじゃん。とても出かけられない。荷物をロビーに置いて、飛行機をキャンセルにカウンターに向かったがあきらめきれない。荷物を取りに行って、とにかく飛行機に乗ることにした。出発ロビーで今後の行動を考えたが、見通しが立たない。函館の調査はタクシーで行けそうだが、問題は黒松内町だ。確か黒松内というJRの駅があったはずだ。もしかして列車でいけるかもしれないと、少し気を取り直して函館へ。

函館に到着すると案内デスクの受付嬢に直行。事情を話して、函館発黒松内行きの列車があるかどうか、調べてもらった。すると、長万部乗り換えで黒松内へ12時半ごろ着く列車がみつかった。何とかなるものだと一安心。帰りの便も調べてもらったのだが、羽田行き最終便に間に合う列車がまったくない。バス便も様々なルートで調べてもらったが、時間には間に合わない。ここで万事窮す。手の打ちようがないとあきらめかけた時、新千歳の最終便なら間に合うかも知れないと、時刻表を調べてもらったら、一本だけつながる列車が見つかった。これも受付嬢の献身的な調べのおかげだ。ANAに札幌発便変更手続きをすることができた。

レンタカーをキャンセルし、タクシーで函館駅に向かい列車で黒松内へ。


黒松内までは2時間弱だが、心配なのは、車が無いので、現地までいけそうもないこと。予定より1時間も早く役場について調査地を教えてもらったが、ここは役場の人に連れて行ってもらうしかない。お願いしたら快く引き受けてもらえた。おまけに温泉やスキー場まで案内してもらった。黒松内町のスタッフの方々には大変お世話になりました。



すべて予定をクリアーして、列車で新千歳へ。特急北斗は修学旅行の団体が乗っていて、自由席はラッシュアワー並み、3時間も立ちっ放し。



千歳空港では一息ついて、ジンギスカンを食べた。


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