2009年07月 12日
日南線の車窓から
南宮崎から志布志まで、日南海岸沿いを日南線は走る。
線路は単線、1両か2両のディーゼル車両だ。
南宮崎から青島、「こどもの国」あたりはシーガイアなどのリゾートホテルが
立ち並び、レジャー?リゾート地の雰囲気がある。
しかし、そこから先は、ひたすら美しい海岸線を走る。
油津あたりに近づくと海岸線から少し離れる。
山側に入るとトンネルも多く、トンネル沿いに渓流が線路の脇や下を
潜り抜けていく。
目的地にいつ着くかわからないほどゆっくりと走る電車に揺られていると、
昔、大糸線に乗って糸魚川沿いに大町から糸魚川に抜けたことを思い出した。
誰も知らないだろうが、「大糸線」という名歌があって、自然と口ずさんでいた。
「引越しのたびに荷物がへるねと笑ったお前の横顔に」…
「大糸線は川沿いに、深くよどんだ悲しみ流す」…
「糸魚川には夜につく…せめて、それまで肩だきあおう」…
もう30年以上も昔、大糸線沿いの土地販売を手がけていた頃の歌だ。
※「大糸線」作詞=喜多條忠、作曲=徳久広司
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2009年07月 11日
長野県 野尻湖「外国人村」の初夏
梅雨時とはいえ、野尻湖の湖畔にある通称「外国人村」に吹く風は、
初夏の爽やかなそれ。
先日、ヴォーリズの建築展に触れたが、野尻湖にも彼の作品が数多くある。
たくさんの展示を集中的に見た目は、あそこも、ここも、彼の手によるものでは?
と見当がつくようになっていた。
■「ヴォーリズ建築展」( 2009年6月)の日記はこちら。
この建物が彼の代表的な作品のひとつである集会所と知ったのは、
帰ってから。よく見ると、上方にさらに大きな屋根がある。
全体を写しきれなかったのは残念。1930年ごろ竣工。
おおっと。金髪の少年が、着衣のまま湖に入っていった。
何かを観察している様子だが、お父さんも一緒でひと安心。
湖から数キロ離れた黒姫駅寄りにある信濃町伝道所(教会)は1958年、
ヴォーリズ晩年の作品として知られる。
周りは豆やとうもろこし、キャベツなどの畑。
伸びやかな切妻屋根の下には、降雪地帯の必需品・スコップをはじめ
さまざまな道具を置けるよう工夫されている。
中に入った事はないけれど、いつ通っても、「外国人村」の建物同様、
きめ細かな維持管理が感じられる。
控えめな尖塔の上に、夏本番を予感させる青空が広がっていた。
■冬の「外国人村」」( 2008年3月の日記)はこちらから。
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2009年07月 05日
銀河鉄道に乗る
盛岡で降りて、花輪線の安比高原に向かう。
盛岡駅で、「花輪線は銀河鉄道線のホームからお乗りください」と
アナウンスがあったので、階段をぐるぐる下り、一旦改札をしてから
銀河鉄道にたどりついた。
正確には好摩(こうま)駅までが銀河鉄道で、そこから分かれて
花輪線に入るのだが、ここに来るまで銀河鉄道があるとは思わなかった。
途中、渋民駅があったので、啄木の生まれたところだと思い、写真を撮った。
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2009年07月 04日
啄木と賢治のふるさと盛岡と大宮駅の事故
盛岡駅で途中下車。
いつものように観光案内所で歩いていける名所と名物の場所を教えてもらった。
賢治の本の出版元で、資料館もかねている光原(こうげん)社と
「啄木 出会いの道」がおすすめコース、
名物は盛岡冷麺と決めた。
前回はわんこそばを食べたのだが、「一人では不利だ」と思ったので、
盛岡三麺の一つ冷麺で腹ごしらえ。
(前回の様子はこちら)
賢治の資料館・光原社のイーハトーブ通りまで10分ほど。
陶芸品や織物などを販売していて、喫茶店もある。
オープンになっていて写真撮影も自由。さすがに賢治の資料館だ。
帰りは北上川沿いの「啄木 出会いの道」を通って駅まで。
啄木と節子の短歌などが碑となって並んでいる。
盛岡から大宮まで「はやて」に乗って帰ると、大宮駅の湘南新宿ラインで
人身事故。
現場を見るのははじめてで、電車の前に人が倒れているのかと思ったら、
ホームの後ろよりの電車の真中あたりの線路を懐中電灯で照らしていた。
生きていけない人が沢山いるという現実をどうしたらよいのだろう。
埼京線で帰る。
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2009年06月 22日
宮崎県・日南線油津(あぶらつ)駅
串間から宮崎空港に向かう電車は単線。2時間に一本ぐらいしか発着しない。
しかも途中の油津駅で乗り換え、
次の電車まで50分近く待たなければならない。
年配の女性駅員が、堀川橋という寅さんの映画の撮影現場を教えてくれた。
往復30分ぐらいでいけるだろうとの話。
空き家だらけの商店街を経て、
吾平津神社通称乙姫神社がある堀川橋に。
その先は海が見える。
急いで引き返したら、やっぱり30分でしたね、と先ほどの駅員さん。
油津は日南線の主要駅だが、乗降客が1日160人ぐらい。
宮崎交通のバスも止まるが、電車の着く直前に宮崎空港に向かってしまう。
やっと電車がやってきたが、この先、南宮崎で乗り換えると、
何時になったら空港に着くかわからない。
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2009年06月 18日
夏至の宵はわくわく・・・飯田橋界隈の”フランス”
まもなく夏至。
18時、会社の退け時といっても、まだ日が高い。
1年のうちでも”得した気分”を謳歌できる時期だ。
JR飯田橋駅から中央線沿いに四ッ谷駅あたりまで続く江戸城外堀の名残・
外濠公園の遊歩道を市谷から飯田橋まで歩く。
都心とは思えないほど深い緑のトンネル。
以前はでこぼこだった遊歩道は整備されて歩きやすくなった。
母校の高層タワーを横目に、外堀を眺めると、2羽の大きな鳥が。
ここに暮らすヒメウの親子だ。
この場合、ぶわぶわと大きい方が幼鳥。まだ、親に餌をねだっている。
外堀には、おなじみの水上レストラン「カナル・カフェ」があるけれど、
今日の行く先は日仏学院の食堂「ラ・ブラッスリー」。
森の中のような庭のテラスでは、すでにフランスの方々が
賑やかにお食事中。
日仏学院の建物はル・コルビュジェに師事した坂倉準三が設計、
1951年竣工。半世紀を経ているが、補修を重ね、今に至る。
ヒューマンスケール(ほどよい人間的な尺度)を設計の
根底に据えた室内は、最近の建物にはない居心地のよさが
あり、床鳴りにすら、温もりを感じる。
庭の席を予約しなかったのは、梅雨時だったから。
窓際の席に案内された。19時少し前。まだ、外は明るい。
大きな窓から庭を眺めてから、乾杯。・・・^^*
さすがに20時前には暗くなりました。
ここは、東京の中の“フランス“。
余暇を愉しむ国の空気に満ちた豊かな時間が流れる。
夜はコース料理が中心だが、ブラッスリーの名通り、親しみやすい
食堂のたたずまい。
どこかしら、軽井沢か野尻湖あたりのリゾート地に共通する雰囲気も。
1.しばらくリゾートに行く時間が取れないので、どうも気がふさがる。
2.密集の地で悪戦苦闘している状況をひととき忘れ、自分を客観的に
眺めてみたい。
3.溢れる緑のなかで、ITに疲れた(憑かれた?)眼を休めたい。
そんな気分のあなた。時には残業→居酒屋のお決まりコースを中止して、
”フランス時間”に浸り、気分転換を図るのも一策かもしれませんよ。
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2009年06月 12日
宮崎・串間の旅館
宮崎県串間市は人口2万人ぐらいの小さな町で、旅館探しも一苦労。
やっとみつけた旅館は民宿のような小さなところ。
でも家族的な雰囲気で、ちょっとした気遣いが嬉しい。
夕食は写真のようにとても豪華、食べきれないほどだ。
朝ご飯もいろいろとメニューがあり、充分なもてなしだった。
お風呂は家庭のお風呂、トイレは共同だったが、たまにはこういう旅館も良いものだ。
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2009年06月 04日
佐久平に架かる虹
長野の現地調査の帰り、上信越自動車道を東京に向かって走行していると
前方の間近に大きな虹が架かっているのが見えた。
丁度、佐久平のパーキングエリアの手前だったので、車を停めて写真に撮ることにした。
カメラを構えてファインダーを覗いたが、あまりにも虹が近過ぎるのか
1枚の写真には納まりきれないので、右側と左側の2枚に分けて撮影することにした。
自分ではこんな大きな虹は子供の頃以来見た記憶が無かったので、
会社に戻ってK女史に話したら「そんなのは、よく見ますよ。」と一蹴された。
自分では珍しいと思ったのだが…。
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2009年06月 02日
小田原は観光地
駅前には小田原城があり、北条家の墓や早雲の銅像など、
北条氏のゆかりの物が多い。
二宮金次郎は小田原の生まれで、栃木の方で死んだらしい。
最近二宮金次郎の評価が高まっているのは、景気が悪いからだろうか。
JRの改札口にはでっかい小田原ちょうちんがぶら下がっていた。
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2009年05月 29日
木更津の猿騒動
木更津の現地調査を終え、匝瑳(そうさ)市に向かう途中、
なにやら警察官が道路を走っている。
畑の方を見ると、家の屋根の上に、レスキュー隊が登って作業をしている。
畑のあぜ道には、網取りの棒を持った人が数人走っていて、
その後を日本テレビのカメラが追いかけている。
何事かと思い、消防車やパトカーの止まっている駐車場に乗り付けて
聞いてみると、猿が逃げたので追いかけているとのこと。
それにしては大騒ぎしているし、第一、網取棒で猿が捕まるわけは無いと思った。
家に帰って日本テレビを見たら、夜のニュースで、木更津で小猿が逃げたと、
レスキュー隊や警察の追いかける様子を報道していた。
番組の最後で、小猿はまだ捕まらないと言っていた。
そうだろう。
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