現地調査も終わって帰り道、国道沿いに日本寺大仏の看板。
普通の板に、黒文字を書き込んだ小さなもの。

きっと、新興宗教が金目当てに、つくった大仏に違いない。
一旦は、通り過ぎたが日記の題材がない。
面白半分に戻って、看板の示す方向に入っていった。

途中石の門があって、そこには細い道沿いに民家が数件並んでいる。
ますます、怪しげな雰囲気で、
そもそも日本寺など、最近つけた名前に違いないから、
新興宗教のお寺に違いないと確信を持ち始めた。

ところが、そこを通り抜けると急に広い立派な道にでて、
ぐるぐると広い道を登っていくと、立派な駐車場とお寺が現れてきた。
そこには、広い駐車場があり、もう車は置いていなかったが、
住職の息子だろうか?一人作衣を着た、青年がいた。



その青年にここはいつごろ出来たお寺ですか?と聞いたところ、西暦725年に建立したとのこと。日本寺とはその頃の名前で、やまとのことを日本とそのころ呼び方を変えたらしい。大仏は江戸時代に初期から、中期に建立したもので、岩を掘ってつくったものでは、日本で一番大きそうだ。東大寺の大仏など比べ物にならないくらい大きい。閉門していたので、見ることはできなかったが、鋸山南斜面全部はこのお寺のものだそうだ。
あまり知られていないのは、宣伝をまったくしないから、といっていました。null