2019年04月 25日
幕末から明治を駆け抜けた下仁田の町
上毛電鉄の終点下仁田は、下仁田ネギで有名だがあまり行ったことは無い。現地調査していて車を勝手に人の店舗前において撮影していたら。遠くから来たのだから、どうぞゆっくりしてくださいと言われた。古く歴史のある町の人は大体親切な人が多い。ここでは、1864年ごろ、尊皇攘夷派水戸藩士と徳川方高崎藩士が壮絶な戦いをして死者は本誓寺に葬られている。
下仁田の駅も古く懐かしい駅だ、学校帰りの生徒に沢山あったが、みんなこんにちは、と挨拶をする。駅の看板で気になったのは、世界遺産に荒船風穴が指定されたとの看板、いったいどんなところなのだろう。
下仁田の町から30キロ近く離れているので、躊躇したが山道を上ってみた。通行する車もなくやがて神津牧場についた。中村メイコがオーナーの牧場で、小さいころ中村メイコは大金持ちだと思っていた。
ここから、約3キロほど下ると世界遺産荒船風穴に到着する。世界遺産に登録されたのは、多分追加登録なのだろう。この風穴が大事なのは、ここの冷たい風で蚕の卵が保存でき、年一回しか紡げなかった養蚕業を2回も3回にもできるようにして、飛躍的に群馬の養蚕業を発展させたことにあるようだ。富岡製糸工場の飛躍的発展の陰にこの風穴があったのだ。下仁田は、明治の日本の産業を支えた原動力の町と言えるかもしれない。
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