榛名湖の西、東吾妻町は、旧道に面し、関所や国定忠治の墓など史跡も多く、あまり知られていないが、古くからの旅籠宿があり温泉も豊富だ。道沿いには、野菜などの直売店も多く、たまたま車を止めたお店の80歳のおばさんに声を掛けられ行者にんにくをかわされてしまった。業者にんにく、二つ買うと、キャベツとふきのとう二つつけるというので、千円払ったのだが、結局ふきのとう一つしかおまけにならなかった。

高崎市の小栗村には、幕末の勘定奉行小栗上野介の屋敷跡がある。小栗は、幕末の江戸幕府の財政を扱っていたので、小栗が江戸幕府の財宝をどこかに隠したのではないかと、現在も財宝がどこかに隠されているという噂がある。
406号線から、少し入ったこの山奥に、江戸幕府お役御免になった小栗は終の棲家を建てて、住む予定だった。お屋敷の上棟が出来上がって、これからというとき、翌日に江戸城攻めで高崎市を通過した官軍に小栗は捉えられ、配下の3人とともに、即刻打ち首になってしまった。建物は建てられず、いまはしだれ桜が咲くのみである。

それにしても、小栗はなぜこの時期に、豪邸を建てるよう準備したのだろうか?官軍が江戸幕府を倒すため進軍を開始していたのはわかっていたのに。小栗と供に打ち首になった三人の家来は誰だったのだろう。