昨秋、この地のリゾートの祖・青木周蔵邸と偶然出会った。(2007年11月の日記はこちら


那須インターから茶臼岳へ登る那須街道に沿ってさまざまな別荘地が広がり、御用邸がある。数多くのレストランやみやげ物店もある。九尾のキツネや那須与一の伝説と温泉…。

でも、那須高原ってそれだけ?

と思っていたから、自分の無知はさておき、歴史の一面に触れたことは新鮮な驚きだった。

今回も矢板市へ向かう途上、明治の政治家たちが開墾に力を尽くした那須塩原市(旧黒磯市)のゆたかな田園地帯をみることができた。牧場が多く点在するからそれなりのにおいは漂っている。そういえば、ずいぶん昔、「千本松牧場」(前身は総理大臣を2期務めた松方正義が開いた農場)へ、乳製品を求めに週末のドライブを楽しんだことがある。牛糞の堆肥?に車を乗り入れてしまい、帰路のガソリンスタンドで鼻つまみ者の扱いを受けたっけ。においはともかくとして、のびやかで西欧的な風景の中に、どこか格調高い雰囲気もある。

矢板市では、山縣有朋記念館の看板を見つけた。山縣もこの地に農場を開いた明治期の政治家の一人だ。

記念館は木造の洋館だった。あいにく午後4時。ちょうど閉館したところ…。さっき通過した小学校が明治の建築を意識した外観になっていたのはそのためか。


帰ってから調べてみると、館は明治42年、小田原市に竣工。関東大震災後ここに移築され、現在は山縣家の末裔の管理のもと、記念館として公開されている。設計は伊藤忠太。築地本願寺や湯島聖堂などの作品があり、自作の内外に妖怪や架空の動物の彫刻を登場させるなどで幅広いファンがいる建築家だ。内部はどうなのだろう。アールヌーヴォーの影響が濃いというインテリア、覘いてみたかったな。庭の一角には水琴窟 もあった。


記念館から徒歩圏内に「住友ミュージアム」という建物もあったが、こちらはモダンな外観。やはり閉まっていた。尾形光琳・乾山兄弟の作品を展示する「琳派館」に、近代日本洋画の成り立ちの経緯を展示した「日本洋画館」を併設した私設美術館。


記念館・美術館とも、看板は控えめ。鳴り物入りで観光客を呼び込む様子もなく、ひっそりと佇んでいる。
打って変わって、ハイシーズンはお客さんでごった返すのだろう。この日のようにすいているシーズンオフこそ、ゆったりとした心で作品と向かい合えるよい機会と思うのだけど…。