2014年09月 27日
強風の八丈島であしたばうどんを食べる
八丈島への第一便は強風で着陸を試行するが、なかなか着陸できない。もう一度着陸を試みるが、だめな場合は羽田に引返すとのアナウンス。なんとか
着陸して欲しいと、ヒヤヒヤしながらも着陸できた。早々に現地調査して、泊まったことも有る近くのホテルでコーヒーを頼んで一休み。
外は荒れているので、食事をして予定より早く帰る事にした。ホテルで食事の場所を探してもらったが、どこもお休み。仕方が無いので、車で走っているうちに、あしたばうどんの看板が見つかったので、入ってみることにした。
店内は結構一杯で、満席だった。あしたばうどんは、甘い味で、今まで味わったことのないうどんだった。Webの懸賞用にお土産で買って帰ることにした。
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2014年09月 22日
下関で25年ぶりにふぐ刺しを食べる
小倉から大阪に向かう途中、下関に寄り道した。下関ではふぐ刺しを食べたいと思った。
ふぐ料理は高いから、一度ぐらいしか食べた記憶が無い。その一度が、ここ下関で、大阪支店(現関空支店)の社員旅行の時だ。その時は、名前は忘れたが高級旅館でふぐをたらふく食べた。今回は駅近くの居酒屋でふぐ刺し小、を頼んだが、一枚一枚噛みしめて食べるのも味わい深いものがある。
下関は、歴史上の出来事が多いところで、平家滅亡の壇ノ浦の戦い、巌流島の決闘、下関条約など有名だ。街のところどころには、幕末活躍した高杉晋作の碑や奇兵隊の記録なども見られる。何となく、明治の貴賓が感じられる街だ。
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2014年09月 19日
群馬県川原湯温泉 共同浴場『新王湯』
民主党政権により一度は事業中止に追い込まれた八ツ場ダムの建設が
自民党の政権復帰により事業が再開され、結局は名湯として名高い
川原湯温泉もダム湖に水没することになってしまい
共同浴場の王湯も今年の7月に新しい川原湯街に移転した。
新王湯
新しい王湯はダムが完成すればダム湖を一望できる高台に建っており、
玄関脇には以前と同じく源頼朝にゆかりの笹竜胆の紋所が飾られていた。
玄関脇には笹竜胆の家紋
入館してみると男女とも内湯と露天風呂が一つづつのコンパクトな施設だが、
新築されたばかりの建物は清潔できれいなので非常に気持ちよく入浴ができた。
内湯
露天風呂
それでも、以前の建物と比べると温泉の情緒に欠ける気がして、
古き良き時代の建物が失われていくのは残念に思う。
内湯の洗い場も二人分しかないので混み合ってくると
順番待ちをしなければならず不便を感じる。
お湯の温度も内湯は丁度良かったが、露天風呂はやや熱めに設定されていて
ゆっくりと浸かることはできなかった。
情緒溢れる旧王湯
旧王湯の内湯
料金は2時間まで500円で営業時間は10時から18時までで
最終入館時間が17時30分までと早いので注意が必要だ。
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2014年09月 13日
尾道から伯方島にむかう
広島の尾道で下りて、伯方島にむかった。調査物件近くには、八幡宮がある。ここは、7世紀ごろ九州博多のお寺から分霊されたところで、伯方島(はかたじま)という島のもとになったようだ。縁結びの亀石が鳥居のところにあり、パワースポットになっているようだ。ご利益を願って階段を上ってお参りしたいのだが、下から見るとかなりの段数があり、登るのはやめた。
調査物件の近くで、お年寄りが畑仕事をしていたので、ほったらかしにしてある蜜柑をもらってきた。甘夏蜜柑で、手前の青いのは伊予柑とのこと。
しまなみ街道は、広島尾道から四国の今治まで、瀬戸内海の島々をわたっていく。テレビのダッシュ島もこの近くにあるようだが、分からなかった。
調査も終わり、尾道にUターン。帰りの新幹線は、こだま、さくら、ひかりを乗り継いで帰るので、尾道での待ち時間は1時間ある。駅近くで尾道ラーメンを食べて帰ることにした。尾道ラーメンは、魚系のだしの味がする。浜松餃子もついでに食べてみたが、こちらは野菜系の餃子で少し甘みがあった。
7時2分新尾道出発、東京駅には、最終のひかりで着く。
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2014年09月 10日
閉鎖されていた伊東市の満鉄ホテル
だいぶ前に、世にも不思議なホテルとして、日記に書いたことがあるムクデン満鉄ホテルが休業していた。いつ行っても車一台人一人見かけないのに、駐車場も敷地もきちんと整備されていて不思議だと思ったのだが、今回近くを通り過ぎたら、草は伸び放題、壁には苔が生えていた。
このホテルにはいつか泊まりたいと思っていたが実現できなかった。満州は暗いイメージがあるが、それでも夢を求め渡満した人は、裕福に暮らせた人も多い。満州人を雇いハイセンスな生活を送っていた人々のイメージが残り、その生活から悲惨な現実に遭遇し、いつまでも満州での生活の郷愁を感じている。そんなイメージがこのホテルに有り、一度泊まってみたかったのだ。
壁にある人名から察すると、経営者はとても愛国的な人で、熱心に満州国の発展を願っていたようだ。壁には知らない名前が多く書かれているが、愛国者と清朝を最後まで支えた人の名前が多い。ただ、このひとたちは一方で軍部には抵抗をした人ばかりだ。
もう泊まることはできないが、もし再開したら行ってみよう。
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2014年09月 04日
鶴岡で食べた麦切り
鶴岡は、城下町で町の中心にお城がある。久しぶりに来たので、公園内にある食堂で、鶴岡名物の麦切りを食べようと思ったら、お昼の時間帯しか営業していなかった。
博物館の発券売り場にあるお店で、売り場の女の子があちこち電話して、お店を探してくれたが見つからない。そのうち奥から年配の女性がわざわざやってきて、いろいろ探して見つけてくれた。
ちょっと離れたところにあるお店だが、大正二年創業とかで、店内には色紙も沢山飾ってある。
麦切りは、蕎麦というよりうどんだ。うどんとしては稲庭うどんのほうが食べやすいような気がする。
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