2009年08月 22日
海上タクシーで日生(ひなせ)港から鴻島(こうじま)へ
日生港はJR駅にも近く、病院もあって生活しやすいところだ。

朝早く海上タクシーに乗る。

海上タクシーはみるみる港を離れて10分ほどで鴻島につく。



遠くから見ると山の中腹にたくさん別荘が建っている。

瀬戸内海は波も穏やかで、いたるところに島がある。島と島を結ぶ海上タクシーは欠かせない交通手段だ。

●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年08月 18日
お盆最終日の「山中湖⇔新宿」高速バス
前回トイレのないバスで散々な目にあったので今回はトイレ付のバスに乗った。
お盆の最終日、道路の渋滞を予想していたが、行きはスムーズに着いた。
昼ごはんは、湖畔で冷やしホウトウを食べたが、なんだかすいとんみたいな麺だった。
帰りのバスもトイレつきで安心。
途中20キロ渋滞に出会ったが、1時間遅れぐらいで、新宿に到着。
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年08月 13日
八戸駅周辺
東北新幹線の終点は八戸。
青森まで延びる予定だが、ここから函館などへローカル線に乗り換える。
駅前で帰りの時間まで地酒を飲んだ。
如空という甘い酒だが結構おいしかった。
イカと魚(忘れた)を注文。
近くにはコミュニティーホールのような建物があり、山車の人形が飾ってあった。
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年08月 11日
40年ぶりの十和田湖乙女の像
十和田湖畔で名物の稲庭うどんを食べてみた。
甘いつゆと冷たいうどんは夏にはマッチしている。
夏食べるうどんはざるが一番。


帰りのバスまで時間があるので、十和田湖の名所乙女の像まで歩くことにした。
高村光太郎の有名な彫刻だ。
この像の前に立ってのは、大学に入りたての頃。
酸ヶ湯から奥入瀬渓谷に入ってこの像に辿り着いたのを覚えている。
この当時受験勉強で知った光太郎の智恵子抄の詩を思い出した。
「レモン哀歌」という詩だ。


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に插した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
『智恵子抄』より


もう40年も前にこの像の前に立っていたのだ。
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年08月 09日
長野県・軽井沢駅 ショー礼拝堂?
軽井沢駅のホームに滑り込んだ長野行き新幹線。
と、突然目の前にショー礼拝堂が現れたのでびっくり。

大きく引き伸ばされた森の中の礼拝堂の写真。
入り口付近にドアノブが。??

よく見ると、飲み物の自動販売機が隠されているのだった。
ショー礼拝堂は、軽井沢銀座の先にある。
昨今、観光客の足が、アウトレットストアに向きがちで、軽井沢銀座では
減少気味と聞く。
軽井沢のルーツを思い出してもらうための苦肉の策!?
なんだか違和感があって、笑ってしまった。
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年08月 06日
夏まつりの札幌大通公園
札幌市内で売買契約を終え、車で大通公園を通りかかったら、
沢山の人達が群がっていたので何のイベントかと車を停めて行って見た。
7月21日から8月15日までの期間、さっぽろ夏まつりが開催中で、
今年で56回目を迎える。
この期間中は大通公園全体がビアガーデンとなって大勢の人達で賑やかだ。
5丁目はサントリー、6丁目はアサヒ、7丁目はキリン、8丁目はサッポロ、
10丁目が世界のビールとまさに巨大なビアガーデンだ。
枝豆で一杯といきたいところだったが、運転中なので諦めることにした。
他にも4丁目がハウス食品、11丁目はコカコーラ等ビール以外も楽しめる。
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年08月 03日
山梨県・清里 清泉寮とまきば公園
「作物の丈が伸びない」。7月下旬、農家の知人から来たメールだ。
異様に蒸した日の翌日には、じめじめと重たい雨、気温も上がらない・・・。
7月に信州へ3度足を運んだが、例年ならばアンズ、スモモ、桃と大賑わいの
農産物直売所が、スモモの一部とブルーベリーを除いては、下旬になっても
閑散としている。
冷夏の声を聞くし、米不足まで懸念されている。
とはいえ、この日の八ヶ岳はからりとした晴天。
蒸し暑い熱風のなか、朝の新宿駅を出発したが、降り立った茅野駅は、
涼しく爽やかな風の吹く別の世界になっていた。
蓼科へ登り、八ヶ岳へ南下する定期出張だ。
富士や南アルプスを望む澄明な空のもと、清里の「まきば公園」では、
羊たちが懸命に草を食む。

公園の一角では、遠足に来た東京の幼稚園児たちがお弁当を食べ始める
ところ。
その傍ら(ちょっと離れているが)では、牛のグループが休憩中。白と黒同士、
黒いの同士、同じ柄同士で休んでいるのはなぜだろう?


昼食は清泉寮のレストランへ。平日とはいうものの夏休み中だけに、
広い店内はお客さんでいっぱい。しばらく待たされた。

青リンゴとダリア、ミントを組み合わせたテーブルの花。
剣山に刺しているものを、アジサイの葉でうまくカバーしている。

管理人の宮沢氏はおすすめランチのポークソテー。私はペストソースのパスタ。


高原野菜をたっぷり使ったサラダはバイキングで、玉ねぎと
卵をミックスしたドレッシングが香ばしくて美味しかった。
温かいコーヒーと冷たいデザート。
標高1200m。年の始めに来た清泉寮は真冬の夕暮れ時もあって寂寞とした
印象があったが、夏は打って変わって活気に満ちる。
広大な敷地に目的別の棟がゆったりと建てられているが、名物・ジャージー牛の
ソフトクリーム売場のある棟にはデッキまで行列ができていたし、別の棟では
「自然学校」に来ている大勢の子どもたちとインタープリターとの元気のよい
やりとりが聞こえてくる。ホテルのフロントは外国人客の応対に大忙し。
そんな喧噪すら、夏の交響楽がフルオーケストラで鳴り響いているようで、
好ましく思えた昼下がり…。
下は富士をみつめる「清里の父」ポール・ラッシュ像。

●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年07月 26日
JR標高最高地点 野辺山駅
野辺山の駅は、標高1345メートル67センチ、覚えやすい数字だ。

JRの駅では日本で一番高い、宇宙にいちばん近い駅として有名。

標高ベスト10の9位までが、小海線の駅のようだ。


駅前は、広々として、美術館や公園がある。


夏休みに入ったばかりだが、人も少なく、閑散としていた。

駅で帰りの切符を買おうと思ったが、もう駅には誰もいなかった。

●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年07月 12日
日南線の車窓から
南宮崎から志布志まで、日南海岸沿いを日南線は走る。
線路は単線、1両か2両のディーゼル車両だ。
南宮崎から青島、「こどもの国」あたりはシーガイアなどのリゾートホテルが
立ち並び、レジャー?リゾート地の雰囲気がある。
しかし、そこから先は、ひたすら美しい海岸線を走る。
油津あたりに近づくと海岸線から少し離れる。
山側に入るとトンネルも多く、トンネル沿いに渓流が線路の脇や下を
潜り抜けていく。
目的地にいつ着くかわからないほどゆっくりと走る電車に揺られていると、
昔、大糸線に乗って糸魚川沿いに大町から糸魚川に抜けたことを思い出した。
誰も知らないだろうが、「大糸線」という名歌があって、自然と口ずさんでいた。
「引越しのたびに荷物がへるねと笑ったお前の横顔に」…
「大糸線は川沿いに、深くよどんだ悲しみ流す」…
「糸魚川には夜につく…せめて、それまで肩だきあおう」…
もう30年以上も昔、大糸線沿いの土地販売を手がけていた頃の歌だ。
※「大糸線」作詞=喜多條忠、作曲=徳久広司
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓




2009年07月 11日
長野県 野尻湖「外国人村」の初夏
梅雨時とはいえ、野尻湖の湖畔にある通称「外国人村」に吹く風は、
初夏の爽やかなそれ。


先日、ヴォーリズの建築展に触れたが、野尻湖にも彼の作品が数多くある。
たくさんの展示を集中的に見た目は、あそこも、ここも、彼の手によるものでは?
と見当がつくようになっていた。
■「ヴォーリズ建築展」( 2009年6月)の日記はこちら。

この建物が彼の代表的な作品のひとつである集会所と知ったのは、
帰ってから。よく見ると、上方にさらに大きな屋根がある。
全体を写しきれなかったのは残念。1930年ごろ竣工。

おおっと。金髪の少年が、着衣のまま湖に入っていった。
何かを観察している様子だが、お父さんも一緒でひと安心。

湖から数キロ離れた黒姫駅寄りにある信濃町伝道所(教会)は1958年、
ヴォーリズ晩年の作品として知られる。

周りは豆やとうもろこし、キャベツなどの畑。
伸びやかな切妻屋根の下には、降雪地帯の必需品・スコップをはじめ
さまざまな道具を置けるよう工夫されている。
中に入った事はないけれど、いつ通っても、「外国人村」の建物同様、
きめ細かな維持管理が感じられる。
控えめな尖塔の上に、夏本番を予感させる青空が広がっていた。
■冬の「外国人村」」( 2008年3月の日記)はこちらから。
●参加ランキングサイト
応援クリックよろしくおねがいします!
↓ ↓ ↓



