近畿にヤマト王権が成立したころ、群馬は馬の飼育地として大切な場所だった、王権の有力者がこの地で馬を育てていて関東地方の中心地だった。
ここ榛名山の東側、渋川市の金内東裏遺跡では、鎧兜を着た男が榛名山に向かってうつ伏せに倒れ死んでいるのが見つかって一躍有名になった。
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1500年ほど前。写真にある榛名山の東側二つ岳の大噴火で遠くこの渋川の地まで火砕流が流れてきた。この地の有力者はこの噴火に立ち向かって家族ともども犠牲になったようだ。
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亡くなった男は、朝鮮から来た人で、女性は関東地方の生まれの人らしい、近畿方面で生活していて馬の飼育の道具も見つかっているからこの地に派遣された有力者なのだろう。
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この地が大切な場所で守り抜く決意と家族愛も感じられる遺跡で、一度来てみたかった。
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