2008年10月 24日
大分→大阪。17時間船の旅 その2
夜は曇天で、海上に輝く月を見る事ができなかったのは残念。
予約の際に調べたら、この船は6月の濃霧の朝、明石海峡で漁船と衝突した
のだそうだ。
今回もスリリングなシーンが何度か。漁船の方が機敏に向きを変えてかわす。
ニアミスは珍しい事ではないらしいが、ぶつかる側にも、ぶつけられる側にも
なりたくないものだ…(≧≦)
大分港を16時に出航して、19時過ぎに松山観光港に寄港。
松山は水上交通の要所で、大小6つの港がある。フェリーや連絡線が発着する
のはこの”観光港”。広島と結ぶ連絡線の姿も見えた。
船はこの後2時間半かけて今治に寄港し、明け方に神戸へ着く。
夜が更けると、規則的なエンジン音と船が波を切る音のほかは何も聞こえない。
照明を落とした窓から望む、瀬戸内の島々にまたたく灯が美しい。島はいくつある
のだろう、その多さにあらためて驚かされる。
規則的に並ぶ神戸淡路鳴門自動車道の照明が見えなくなると、やがて明石海峡大橋をくぐる。時刻表によると4時36分だ。
神戸は近い!(と思ったが、あと1時間かかる)。
夜明けの空に浮かび上がる神戸港。右は欧州航路のコンテナ船。
停泊中に空が明るんだ。あちらでは北九州の小倉と神戸を結ぶ阪九フェリーが
ゆっくりと入港中。
20年ほど前に乗ったな?。震災後、船体に描かれたWe Love KOBEの
スローガンはその後塗り替えられたのか、見当たらない。
神戸を発って2時間あまり。朝焼けのなか、終着地である大阪南港と、わが国で
3番目に高く、大阪府庁舎の移転案が出ているWTCセンターのタワーが見えてきた。
着岸までたっぷり1時間はあるけれど、クルーたちはてきぱきと入港作業を
進めている。
のんびりするつもりだった17時間の航海中、結局、まんじりともせず…。
2時に瀬戸大橋をくぐったのは気づかなったから、2時間は眠ったのかな?
波の上独特の浮遊感覚とも、まもなくおさらばとは。何となく寂しい。
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2008年10月 22日
これより陸奥 白河の関
かつて坂東(関東)と大和朝廷の勢力の及ばない
蝦夷の国、陸奥とを分ける関であった白河の関は
当然、奥州街道である国道4号線沿いにあるだろうと思っていたが、
行ってみると市街地からかなり離れた田園地帯にあった。
江戸時代後期の寛政年間に白河藩主の松平定信によって、
この地が白河の関跡であると断定され「古関蹟」の石碑が建てられたとのこと。
この関を1200年程前に征夷大将軍の坂ノ上田村麻呂が
アテルイと戦うため、950年程前には八幡太郎源義家が
蝦夷討伐のため越えて行って、安倍貞任と戦ったのだ。
さらにその100年後には平家から逃れた源義経が
奥州藤原氏を頼って越えて行ったのだろう。

歴史上、何度も登場するこの白河の関が、
今は樹齢1000年にも及ぼうかという巨木の杜に囲まれて、
ひっそりと白河神社や石碑が佇んでいるだけで、
特に観光地化されていないことが不思議に思えた。
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2008年10月 21日
姫路の秘湯 雪彦温泉(せっぴこおんせん)
旧夢前(ゆめさき)町(姫路市)を流れる夢前川を遡って行くと、
雪彦(せっぴこ)山の麓に雪彦温泉が出来ていた。
この辺りは20年程前に一度、現地調査に来たことがあるだけだが、その時には温泉などなかったので、最近できた新しい温泉だろうと思い行ってみた。
入館料は700円で、入館すれば入浴しても、しなくても700円払わねばならない。
温泉のほかには軽食・喫茶コーナーと休憩室があるだけなので、
当然、皆入浴するだろうと思うが…。
シーズンには雪彦山の登山客で賑わうそうだ。
浴室にはサウナ・内湯と露天風呂があるが、
湯量が少ないため温泉を使っているのは内湯だけで、
露天風呂は普通の地下水を汲み上げているそうだ。
確かに露天風呂では感じないが、内湯に浸かっていると
なんとなく肌がすべすべしてくるような気がする。
露天風呂は適温で、内湯はやや熱かったが、
どうせなら温泉にと思い、汗が噴き出すまで浸かっていたので
風呂上りに飲んだ牛乳は非常に美味しかった。
(ここは兵庫県なのに何故か大山高原牛乳だった。)
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2008年10月 19日
世界遺産候補地・富岡製糸工場を見る
富岡の駅から徒歩でいける所に
世界遺産暫定リストに載っている富岡製糸工場跡がある。
昭和の時代まで操業されていたようで、
明治5年に日本の国策工場として作られた。
当時は世界最大のしかも近代的な、8時間労働の模範的な工場だったみたい。
最先端尾技術で良質な生糸を生産し、
日本の絹織物の価値を世界に知らしめたのだ。


あまり派手な街ではないが、歴史的な価値はありそうで、興味深く見学してきた。
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2008年10月 18日
富岡市をハイヤーで一周
上州富岡駅から、妙義町までハイヤーで出かけた。
ハイヤーといっても、上州ハイヤーという会社の乗り合いバスで、
450円で乗れる。
駅で乗ったときは、一人だったが、途中病院などに寄り、
結構お年寄りでいっぱいになる。
あそこで、熊が出たとか、小学校の先生をお互い知っていたとか、
懐かしい昔話や、苦労話で、知らない人同士が素朴に話している。


帰りは、富岡の製糸工場の近くで降りて、富岡駅まで歩いて見た。
上州電鉄は、自転車持込可で、駅では無料で自転車を貸してくれる。
ちょっと、自転車を無料で借りてみることにした。



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2008年10月 17日
塩原温泉郷 杣(そま)の湯
鬼怒川温泉から塩原温泉郷へ向かって日塩もみじラインを通ることにした。
紅葉を楽しみにしていたが、まだ季節が早いのだろうか、
樹木の色づきは今ひとつの状態だ。
それでも峠の頂上付近は楓も紅葉し、秋の景色を楽しむことができた。
その後、もみじラインを下って行くと
「日帰り温泉杣の湯、源泉掛け流し600円」
と書かれた看板が目に付いたので寄ってみることにした。
広い駐車場には車が2台ほど停まっているだけなので
空いているだろうと思い入ったが、他に客はおらず湯船は独り占めだ。
非常に素朴なお風呂で、内湯も露天風呂もコンクリートの打ちっぱなしで
タイルも石も使われていない。
洗い場もシャワーはなく、蛇口だけだ。
湯量が豊富でお湯が湯船からじゃんじゃん溢れているので、
温泉を使えと言うことらしい。
(源泉は塩原十一湯とは別の独自の温泉だそうだ)
内湯は熱くて長く浸かっていることができなかったが、
露天風呂は外気に晒されているせいか適温で気持ちよく浸かれた。
ただし、露天風呂は周囲が塀で囲ってあるので
景色を楽しむことはできずに、見えるのは空だけだった。
周囲に家がある訳ではないので、もう少し工夫してほしかったと思う。
脱衣所の洗面台も一人分しかなかったが、混雑時はどうするのだろう…。
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2008年10月 16日
和田宿温泉 ふれあいの湯
長和町営の和田宿温泉ふれあいの湯へ行ってみた。
長和町には旧長門町にも町営の温泉やすらぎの湯があり、
車で20分ほどの距離である。
泉質も似ており、ふれあいの湯はカルシウム・ナトリウム硫酸塩温泉、
やすらぎの湯はナトリウム硫酸塩泉で、
どちらも良質な療養泉であることがセールスポイントだ。
やすらぎの湯はサウナや露天風呂があって入館料が500円、
ふれあいの湯は内湯だけでサウナすら無いが入館料が300円と格安だ。
浴槽もあまり大きくないので6~7人も湯船に浸かると満員になりそうだ。
利用客はほぼ地元の人達で占められているようで、
私以外は全員知り合いのようだ。
私だけが蚊帳の外で新たに入ってくるお客さんもやはり知り合いらしく、
和やかに声を掛け合っていた。
なんとなく疎外されているような気がして、早々に立ち去ることにした。
私の印象では、やすらぎの湯の温泉の方が肌にやさしそうで、
すべすべしていた気がする。
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2008年10月 15日
大分→大阪。17時間船の旅 その1
九州からの帰路、大分から大阪までフェリーを使った。
関西方面へは、所要時間12時間の神戸・大阪行き「直行便」と、松山・
今治・神戸に寄港するため17時間近くかかる「寄港便」の2種類がある。
直行便は新造船だが、これまでに何度か使ったし、暗くなってからの出港・
早朝着と船旅が楽しめないので、大分発16時・大阪着翌朝8時40分と、
ゆっくりできそうな寄港便「さんふらわあにしき」(関西汽船)を予約した。
神戸下船でもよかったけれど、5時50分の到着では、まだ白河夜船かも。
そんなわけで、神戸から大阪までわざわざ3時間近くをかけて到着する方を
選んだのだ。
車のフロントガラスに行先の札をつけて、船室へ。
出航間際のデッキから。向こうに見えるのは到着便か?
部屋は個室にした。ベッドの足元にしつらえてあるのは、客船ではおなじみの
花毛布ならぬ“花カーテン”。※カーテンをしわくちゃにして遊んだのでは
ありません。
部屋は船首に位置するため、夜間は照明を点けたままカーテンを開けることは
NG。
沖合いでは電話は通じないが、今回は陸とつかず離れずだから、
携帯のアンテナが3本立つ時もある。会社からの電話が通じにくい事は、
何だかうれしいような気が♪
1970年代、国内の船旅の一時代を築いた「さんふらわあ」。
その後、一部の「豪華客船」を除き、船旅は斜陽の一途だが、
車を積んでゆったりと旅を楽しみたい人々の根強い支持はあるようだ。
神経を使う運転からの、一時の解放。
デッキに出て大海原や星空を飽かず眺めたり、部屋に戻って本を読んだり、
お風呂にのんびり入ったり。
この悠揚迫らぬ時間の流れが、なんとも心地よい。
オオミズナギドリの狩り、トビウオの群れ、見知らぬ船との遭遇。
案外、いろいろな出来事があるものだから、必ず双眼鏡を窓辺にスタンバイ
させる。
海さえ穏やかならば、こんなにリラックスできる移動方法はないと思う
のだが…。
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2008年10月 15日
さなぎから蝶が・・・
我が家の玄関戸にぶら下がっていたさなぎから、蝶が誕生した。
飛び立つところを見ようと、外で待機したのだが、1時間たっても動かない、
少し休憩していたら、蓑袋みたいなところから、いつの間にか離れていた。
いよいよ飛ぶのかと待機していたら、1時間近くも動かない。
そのうち、近所のフリー猫(野良猫だが、えさをやる人がいる)が
塀の上から様子を見に来た。
このフリー猫は、我が家の玄関や窓ガラス沿いに動き回るので、
箱入り息子の当家の猫は、いつも翻弄されている。
だから、我が家としてはこの猫が嫌いだ。
いつの間にか、蝶がいなくなったので、探してみると
玄関のタタキに降りていた。
でも、ホバーリングはするものの、なかなか飛ばない。
やっと、飛んだと思ったら、すぐ下の地面にたどりついた。
ここでもホバーリングして暫くしたら、勢いよく羽ばたいて舞い上がっていった。
この間4時間ほど。
近くの家の壁にしがみついていた。
この後はどこかへ飛んでいくのだろう。
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2008年10月 14日
続・新宿駅は銀杏の宝庫・東京は収穫の時
次の日、知人に銀杏のことを話したら
沢山あって拾うのに苦労したと報告を受けた。
それならと私は、翌日早朝いっぱい袋を持って自転車で新宿駅に向かった。
道のりは遠かったが、銀杏蔵が作れるかもしれないと、
上り坂もなんのその一挙に新宿駅に着いた。
ところが、駅には沢山のバスが勢ぞろい、
バスツアーに乗る人でごった返している。

目的の場所は、きれいに掃除してあって、銀杏は見当たらない。
ツアーガイドが、秋の味覚ツアーの客の搭乗を呼びかけている目の前で、
ゴミ拾いみたいに、銀杏を捜したが、1つか2つしか見つからない。
きっと観光会社が、私みたいな強力なライバルを恐れて、
銀杏をことごとく処理してしまったに違いない。

銀杏蔵の夢は破れた。
このまま、帰るのは悔しいので、周りを探したら、
車道側から見ると少し取り残しがあるようだ。
全部で200個ぐらいは取れたかもしれない。

来年は、銀杏蔵を作ろう。
帰る途中、小学校の庭から飛び出て、ざくろが、熟しているのを見つけた。
年配のご婦人が、小学校はこのままにしていると嘆いていたので、
塀をよじ登ってざくろを収穫してきた。
はさみを貸してくれるといった年配のご婦人に
大きなざくろを二つプレゼントしてきた。

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